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昔の比叡山の僧侶たちは出家しているのに、 神仏を盾に朝廷に強訴したり、武家と...

Rafael Rurukuさん

2016/10/1303:37:08

昔の比叡山の僧侶たちは出家しているのに、
神仏を盾に朝廷に強訴したり、武家と武力衝突して
数々の問題や事件を起こしていたのはどうしてですか?

僧侶が信者たちを武装させてたりして、
昔の比叡山は今でいう強引な新興宗教だったんでしょうか?
高野山の僧侶とは違うような気がします。

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mil********さん

編集あり2016/10/1314:20:39

僧侶は現代のお坊さんとは違います。
外交官でもあり、戦術、密会政治の頭脳でした。

茶人が僧侶であるのは、茶室が密会政治の場だったからです。

戦術僧侶も、戦さ場には出て行き野立てをしていました。

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aki********さん

2016/10/1308:45:27

当時の坊さんはほぼ武装集団だが、当時だと今の奈良県じゃ武士同士なんかより多く坊さん同士が武力衝突を起こしてるし国内の動員兵力の大半が寺の兵力だし。
戦国時代は坊さんも坊さんでちゃんと戦国時代してただけの話、ってか戦国時代が始まる要因の一つがそもそも南都(興福寺)と北嶺(延暦寺)の武力衝突だし新興宗教は一向宗だな。

2016/10/1307:43:14

僧侶と僧兵は別と考えたほうが良いです
強訴をしていたのは僧兵の方です

初期の頃は僧侶が雇っていたのでしょうが
そのうちに僧侶とは別集団となっていきます

2016/10/1307:15:25

中世とは、
「自検断」の時代です。
これは、
軍も警察も裁判も自分たちで勝手にやる
という事です。
ですから、村対村の水争いで、百姓が殺し合いや奴隷狩りまでする時代なんです。
武装していない人が少数派。
そして、比叡山や高野山も「僧兵」を抱えてました。寺の主収入は、荘園の年貢。この荘園を守るために武力が必要でした。
ただ、高野山は距離も遠く、朝廷との関わりが少なかったのに対して、比叡山は「人事交流」も多く、関わりが大きかったのです。そこで、比叡山がらみの裁判や政治に対して不満があれば抗議するわけです。

2016/10/1306:23:04

信長の時代 伊勢に一向宗 大阪に本願寺 の宗教団体との戦だと思います。

銀うさぎさん

2016/10/1306:05:23

比叡山延暦寺を中心とした広大な寺領を有し年貢を徴収し
公家、武士へ経済的な援助もし結託し権力者を後ろ盾としていました

武装集団である僧兵(実際は武士)も雇い入れあたかも「一国」の
態をなしており更に勢力の拡大を図っていました
信長にとっては天下統一を図る上で比叡山との戦いは避けて通れない
ものでした。併せて比叡山は堕落し仏教を納める場所では
なくなっていました。
同時に一向宗との戦いもありましたこれも天下統一を成し遂げる為の
戦いでした。

強引な勧誘ををる新興宗教とは何を指すのか分かりませんが
以上のことから別物だと思います。
高野山真言宗の成立過程と比叡山とは同一視ができないのでは
ないですか?
大きく違うのは高野山は和歌山、比叡山は大津(京都の直ぐ隣)
地域が大きく違いそれが影響していると思います

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