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藤原仲麻呂と光明皇后は最後まで政治的に同じ方向性だったのでしょうか? 光明...

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ID非公開さん

2016/11/820:29:09

藤原仲麻呂と光明皇后は最後まで政治的に同じ方向性だったのでしょうか?

光明皇后の晩年に起きた橘奈良麻呂の乱で、 皇后は甥の奈良麻呂や黄文王達を咎めないとしたのに、仲麻呂が拷問で殺してしまったらしいので、険悪になったりはしなかったのでしょうか?

光明皇后は藤三娘と署名したり、藤原氏出身という意識が強かったと一般に言われますが、反藤原氏的な行動をとっている面もあったらしいと聞きました。具体的な話をご存じの方は教えて下さい。正倉院にもそのような意味があると聞いたのですが。

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oya********さん

2016/11/900:12:36

藤原仲麻呂は叔母の皇后にとりいり紫微中台をもうけ院政のような仕組みで朝廷を支配し、独裁体制をしきました。

皇后は社会の安定のみを求めていたので、仲麻呂の強権も有効なものとみていたのでしょう。ほとんど口出しをしたことがありません。

仲麻呂がその権威を一方的に利用したにすぎませんね。

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質問した人からのコメント

2016/11/15 20:52:22

回答ありがとうございました。

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