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聖武天皇の 東大寺の大仏、廬舎那仏造営、国分寺、国分尼寺造営など 仏教へ...

bri********さん

2016/11/1420:00:47

聖武天皇の

東大寺の大仏、廬舎那仏造営、国分寺、国分尼寺造営など

仏教への強烈な帰依は

どういうところから来ていたのでしょうか?

そもそも天皇がそんなに仏教に入れ込むとは

どういうことだったのでしょうか?

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won********さん

2016/11/1422:27:53

聖武天皇・光明皇后夫妻が異常なまでに仏教に傾倒したのは、教科書に書いてあるような「仏教の力で飢饉や疫病などを鎮め、国を平和にしようとした」などという崇高な理由からではありません。もっと個人的な問題があったのです。

聖武天皇の時代は藤原氏が朝廷内に台頭し始めた頃です。藤原氏は朝廷内の権力を独占しようと天皇と親戚関係となることを企て、聖武天皇との間に男子を生ませようと一族の娘・藤原光明子を妃として嫁がせ、さらに皇后に格上げしようとしました。

これに猛反対したのが時の左大臣・長屋王です。当時は天皇が死ぬと次の天皇が成長するまで皇后がピンチヒッターとして天皇になることがあり、そのため皇后は必ず皇室出身者でなければなりませんでした。もし光明子が皇后になって聖武天皇が先に死ぬと、民間人が天皇になってしまう恐れがあるからです。

そこで不比等は、邪魔な長屋王を排除しようと光明子の4人の兄を使って長屋王に謀反の疑いありと無実の罪を着せ、長屋王を自殺に追い込みました。

これで光明子はまんまと光明皇后になりましたが、しかしいつまで経っても聖武天皇との間に男子は生まれず、それどころか、長屋王を無実の罪で死に追いやった4人の兄がわずかに半年の間に次々と亡くなってしまいました。

光明皇后は戦慄しました。自分に男子が生まれないのも、兄たちが全員死んだのも、これは無実の罪で殺された長屋王のタタリに違いない。すると次に殺されるのは…

長屋王の怨霊に怯えた光明皇后は、夫・聖武天皇に頼んで長屋王の霊を鎮めるべく全国に国分寺と国分尼寺を建て、その総本山として都に世界一の大きさの仏像を作ってもらいました。これが奈良の大仏です。

しかしついに聖武天皇夫妻に男子は生まれず、天武天皇から続いた血筋は聖武天皇の娘で滅ぶのです。

質問した人からのコメント

2016/11/18 21:00:49

ご回答ありがとうございました

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mas********さん

編集あり2016/11/1500:35:13

道教の尼だった女帝武則天も仏教にのめりこみました。

従来の信仰にはない、衆生救済、にとりつかれた結果ですね。

信仰すれば七代前の先祖まで救済されるというものです。

不犯の戒律はあっても後世のような女性蔑視のない時代でしたから、女性も篤く信仰しました。

母、妻の影響は大きいと思います。

goo********さん

2016/11/1423:50:09

長屋王の呪いがあると思い込んでしまった+広嗣の乱などの蜂起

が影響だと思われます

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