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江戸時代の禁教らへんを学習しているのですが、寺請制度と寺檀制度の違いや、宗門...

ram********さん

2016/11/2422:58:16

江戸時代の禁教らへんを学習しているのですが、寺請制度と寺檀制度の違いや、宗門改とは何なのか。
あとは、寺院法度や本末制度、さらに諸宗寺院制度、諸社禰宜神主法度についてわかりやすく教

えて欲しいです!教科書にはあまり説明が載っていないので、教えてください!

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yel********さん

2016/11/2509:33:40

知ってい範囲でいえば・・・
寺請制度と寺檀制度は同じ制度。
また別名として『檀家制度』ともいいます。

学校の日本史で習ったとは思いますが、織田信長が本能寺の変で明智光秀に殺された後に豊臣秀吉が天下を握ります。
信長はキリスト教を保護していましたが、秀吉は外国の侵略を警戒してキリスト教を禁止しました。
秀吉の死後、天下は徳川家康によって統一され、慶長八年(1603年)に征夷大将軍となり江戸時代となります。
江戸時代は秀吉と同様にキリスト教を禁止し、徹底的に弾圧をしました。

仏教に対しては江戸幕藩体制に組入れ、まず『本未制度(本山末寺の制)』を実施しました。
これは寺院に本山と末寺を設定し、寺院本末帳を作ってこれを管理しました。

次に寛永12年(1635年)には『寺社奉行』が設置され、僧侶や神官がその管理下に置かれました。
天台宗や真言宗、浄土宗や浄土真宗などの各宗派には、江戸の触頭(しょくとう)寺院という出先機関を設置させて、寺社奉行がこれを管理して各宗派を抑えました。
これにより全ての宗教が幕府の統制下におさめられました。

寛永14年(1637年)には切支丹である天草四郎時貞を中心とした『島原の乱』が起きました。
江戸幕府はこの乱をきっかけに、『隠れ切支丹』の取り締まりの為として『宗門改役(しゅうもんあらためやく)』を設置し、『寺請制度』と『宗旨人別帳』を作りました。
全ての人がいずれかの寺の檀家にならなければならず、またその証明する『寺請証文』が寺から発行され、旅をする時などは、これを携帯しなけれしなければなりませんでした。
その台帳が『宗旨人別帳』で、人々は名前、年齢、家族構成など各家ごとに記して菩提寺に届け、確認印をもらって宗門改役に提出しなければなりませんでした。
いわゆる今の『戸籍』となります。

これにより江戸幕府は寺を通じて日本の全人民を管理するシステムを作りました。

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