ここから本文です

文武天皇の二嬪の嬪号剥奪事件は、藤原氏による首皇子(聖武天皇)のライバルを除く...

アバター

ID非公開さん

2016/12/107:02:11

文武天皇の二嬪の嬪号剥奪事件は、藤原氏による首皇子(聖武天皇)のライバルを除くための陰謀とされますが本当でしょうか? 二嬪のうちの一人は石川刀子娘でした。あの時代の石川氏は藤原四兄弟の母方の親戚しかいません。実際、刀子娘の父を不比等の義兄で四兄弟の母方の伯父にあたる石川宮麻呂と推定する研究を見ました。刀子娘は四兄弟の従姉妹。

四兄弟の母方の親戚なら、刀子娘の2人の皇子は藤原氏にとって手駒にできる皇子だったのでは?言い方は悪いですが。特に、首皇子は病弱だったので、2人は首皇子に何かあった時のスペアにできる存在だったろうし、無理に除く必要があったのでしょうか?

本当に藤原氏主導なら、不比等と義兄の宮麻呂の仲はさぞ険悪になったろうと思います。当時妻は既に故人だったにしろ、その親戚を粗末に扱えたのでしょうか?ちなみに、この事件後も藤原四兄弟は、石川石足など石川氏の親戚と親しく付き合っており、特に関係が悪化した様子はなさそうです。

この事件は橘三千代主導の可能性は?この件で一番得をしたのが三千代のような?三千代は実家の県犬養家の出世を密かに狙っていた様子もあり、藤原氏の持ち駒が減ってくれたら都合が良かったのでは?県犬養が食い込むチャンスが増えます。どうでしょう?

閲覧数:
119
回答数:
2
お礼:
100枚

違反報告

ベストアンサーに選ばれた回答

oya********さん

2016/12/110:51:19

聖武天皇には僧開成という兄弟が系譜にのっています。

これが石川広成かもしれません。広世は子どもである可能性があります。

つまりいったん寺にはいり還俗して家庭をもったとすれば皇族ではなく母の姓を称したのも理解できます。

還俗は簡単にできませんから、醜聞であったことは想像できます。

修行より恋人をとった結果でしょう。

アバター

質問した人からのコメント

2016/12/8 09:37:58

回答ありがとうございました。

ベストアンサー以外の回答

1〜1件/1件中

pin********さん

2016/12/807:21:23

「藤原宮子」の血の入った「首皇子(聖武)」を天皇に即位させるためには、何でもやったのです、「二嬪の嬪号剥奪なんか、ちょろこいものです」。
「長屋王親王(高市天皇の子)」の子を皇孫に格上げしておいて、「長屋王の変」をやるぐらいですから」。
「県犬養美千代」が何故「不比等の後妻に入ったかが疑問ですが」それはいったん置いておいて、「彼女はバリバリの九州倭国系の官僚の出です」。
彼女は、「天智―藤原系」の中にあって、「血で血を洗う奈良朝政治の暗闘」を、最後まで、「天智―藤原系」と「九州倭国系」の融和を一番に考えていた、尊敬に値する女人です。「自家の出世などというのは、ゲスな考え方です」。
「橘諸兄も母が、天智―藤原サイドにあるので、誤解を避けるために、臣籍降下しても、堂々と聖武の左大臣を務めています」。
「光明子も孝謙称徳」も彼女の血を引いていて、「壬申の乱」の再来を回避すべく「全力で、男たちの間を駆け回ったのです」。

この質問につけられたタグ

みんなで作る知恵袋 悩みや疑問、なんでも気軽にきいちゃおう!

Q&Aをキーワードで検索:

Yahoo! JAPANは、回答に記載された内容の信ぴょう性、正確性を保証しておりません。
お客様自身の責任と判断で、ご利用ください。
本文はここまでです このページの先頭へ

「追加する」ボタンを押してください。

閉じる

※知恵コレクションに追加された質問は選択されたID/ニックネームのMy知恵袋で確認できます。

不適切な投稿でないことを報告しました。

閉じる