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古今和歌集からの出典です! 今の世の中、色につき、人の心花になりにけるより...

tok********さん

2016/12/2015:03:07

古今和歌集からの出典です!

今の世の中、色につき、人の心花になりにけるより、あだなる歌、はかなき
言のみ出でくれば、色好みの家に、埋もれ木の人知れぬこととなりて、まめ
なる所には

、花すすき穂に出すべきことにもあらずなりにたり。
その初めを思へば、かかるべくなむあらぬ。いにしへの代々の帝、春の花の
朝(あした)、秋の月の夜ごとに、さぶらふ人々を召して、ことにつけつつ、
歌をたてまつらしめたまふ。あるは花をそふとて、たよりなき所にまどひ、ある
は月を思ふとて、しるべなき闇にたどれる、心々を見たまひて、賢(さか)し、
愚かなりとしろしめけむ

この本文中の
「ながらの橋もつくるなりと聞く人は、歌のみぞ心を慰めける。」

の、部分がうまく訳せません。
問題集では設問になっていて
この文中の「なり」が、断定の助動詞である、と載っていたのですが、自分は伝聞推定の助動詞 なり かと思ってしまいました。
この場合、文法的な判断の仕方はありますか?それとも、現代語訳から適当なものに当てはめる方が良いのでしょうか?


ご回答お待ちしております。

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2016/12/2103:56:21

結論から言うと、文法的な判断の仕方は、この場合、「ありません」。

ここの「なり」の解釈は、諸説あるのよ。

まず、この引用文が、「古今和歌集」1051伊勢の、
「難波なる長柄の橋もつくるなり今は我が身を何にたとへむ」
の和歌のことだということはわかってるね。

「長柄の橋」というのは、「ながら(ふ)」という言葉から、
「古いもの、古びたもの」のたとえとして使われる慣用的な語なのね。
「古いもののたとえとしてよく言われる、難波にある長柄の橋も、(つくるなり)。
今となっては、この古びた我が身を、何に喩えようか。」
というわけだけど、その伊勢が詠んだ「つくる」が、
「造る」なのか「尽くる」なのか、わからないんです。

その「長柄の橋」も、今は「造る=再建されている」・・・と考えたら、
「造る」はラ四だから、終止と連体が同形で、
「なり」は、「終止→伝聞推定」、「連体→断定」と、
文法上は、どちらにもとれるけど、
そこは、ふつう、「伝聞推定」でとるでしょう。
女流歌人伊勢が、「難波」にある「長柄の橋」が再建されているかどうかを、
「断定」することはできないじゃない、建設に携わってもいないのに。
どう考えても、「再建されているそうだ」だよね。
「古いものの喩えである難波の長柄の橋も再建され(て新しくな)るらしい、
古びた我が身を喩えるものが、もうない。」

でも、「長柄の橋」も、今は「尽くる=腐り果ててなくなってしまう」・・・という意味だとしたら、
「尽く」はカ上二だから、「尽くる」は明確に「連体形」、
すると、「なり」は、確実に「断定」だよね。
「なくなってしまったのだ」という意味ということになるよね。
「古いものの喩えである難波の長柄の橋もなくなってしまったのだ。
古びた我が身を喩えるものが、もうない。」

さらに、「つくる」じゃなくて「くつる(朽つる)」の誤写説もある。
これであるとしても、「なり」は、連体形接続で「断定」ということになる。
「朽ち果ててしまったのだ」という意味になるね。

和歌として流れがいいのは、断然、「伝聞」なのよ。
こんなとこで、「断定」する和歌、中古には、まず、ないわ。
一応、「伝聞」説が、有力といえば有力。

そこで、仮名序の、
「今は富士の山の煙も立たずなり、長柄の橋もつくるなりと聞く人は、歌にのみぞ、心を慰めける。」
の対句の「立たずなり、つくるなり」の「なり」をどう見るのか、
という問題が残る。
「つくるなり」の「なり」を、貫之が「伝聞」と解釈しているとすれば、
「立たずなり」の「なり」も、「伝聞」で、対句にしているの?

でも、伝聞推定の「なり」が、「ず」に接続するときには、
ふつうは、「ざるなり」形になることは、紀貫之の時代には、すでに確立していた。
だって、貫之本人が、「土佐日記」で、
「今はとて見えざなるを」「海賊は夜ありきせざなりと聞きて」
と使っているもの。
「今昔物語集」なんかに、「ずなり」型の接続は、一応、あるけどね。

「立たずなり」の「なり」は、
平安時代なら、ふつう、助動詞ではなく、ラ四動詞として解釈されている。
「立たなくなり」ということ。
すると、「対句」だとしたら、「つくるなり」の「なり」も、
ラ四動詞「成る」なの?????
そりゃ接続が変だよねえ。

では、「立たずなり」と「つくるなり」は、もともと「対句じゃない」のか?
それはそれで、文章構造上、変。

ちなみに、小町谷照彦の校注では、
「煙も立たなくなり、長柄の橋もまた造るようになったと」と、
いずれも、ラ四動詞で解釈しているくせに、
歌集本文の伊勢の和歌は、「作り替えているそうだ」と訳してあるよ。
どないやね~~~~~ん^0^
(うん、和歌のほうは「伝聞」で、
「ずなり」は当然「ラ四」で、
それと対句の「つくるなり」も「ラ四」だ、
という、それはそれ、これはこれ、という解釈なのね、きっと^^;)

・・・というわけで、この「なり」は、疑問が多いんだよ。
つまり、こんな、謎の多い「なり」をつかまえて、
「断定」と、しかも少数派の意見で決めつけて書く、その問題集がどうかしているのです。

質問した人からのコメント

2016/12/21 17:32:04

ご回答、ありがとうございます!

なるほど、意見が分かれる部分だったのですね…
でも、基本的な文法事項の確認にもなり、勉強になりました!

意見が分かれるというのも面白いですね。ふた通りの解釈があるということなのですね。

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