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日本で6世紀以前の大きな墓は、前方後円墳ですよね。 どうして、卑弥呼の墓っ...

ひでおさん

2017/1/521:54:53

日本で6世紀以前の大きな墓は、前方後円墳ですよね。

どうして、卑弥呼の墓って、6世紀以前の大きな墓なのに、円墳なのでしょうか?

そもそも、「方形の辺と円形の直径を足した長さ」が「円形の直径」より、ずうっと長い、前方後円墳を、「円形の直径」で表示するのは、なぜでしょうか?

補足魏志倭人伝に「卑弥呼以って死す。・・・径百余歩」とあり、墓は、直径が30m以上(30cm×100歩)の円墳ですよね。

前方後円墳なのに、「方形の辺と円形の直径を足した長さ」ではなく、「円形の直径」で表示ずる、意味がわからないのです。

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ベストアンサーに選ばれた回答

sak********さん

2017/1/523:46:47

一歩は 、周代では約1.35m、秦・漢代では約1.38m、魏代では約1.44mではないでしょうか?

  • 質問者

    ひでおさん

    2017/1/600:07:13

    ご回答ありがとうございます。

    一歩は30cmではないのですね。いつも、万歩計ではかっているので、一歩は30cmと思い込んでおりました。

    魏代では約1.44mとなると、径百余歩は144mということになのでしょうか?

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質問した人からのコメント

2017/1/12 01:04:31

皆様ご回答ありがとうございました。

1歩は30cmでないこと、径は直径でないこと、前方後円墳の前は円墳であったことを、ご指摘いただき感謝しております。

また、1歩が短里では、25.3cmであることをお教えいただきありがとうございました。

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z_x********さん

2017/1/708:10:23

卑弥呼がなくなったのが3世紀半ばで、
前方後円墳のはじまりも3世紀半ばですね。
でも卑弥呼の墓が前方後円墳だとは書いてません。

「卑弥呼以って死す」の「以って」は
「○○だから卑弥呼は死んだ」→「○○を理由に殺された」
ととれなくもないので、別の王権がたって、
あらたな埋葬様式が前方後円墳に統一されたのかもしれませんね。

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kam********さん

2017/1/700:35:33

良い点に気付きましたね。
魏志のどこにも円墳って書いてないですよね。

中国の記録において、玉の大きさなどで径○○尺とか、径〇〇寸とか言えば、円形のものの直径の普通の表示方法であることとと、当時の中国の塚は、円状のものであり、他の形状っていう記載が無いから卑弥呼の墓も直径百余歩の円墳だったと考えられているようだけど。

魏国からの使者は、倭人が卑弥呼の墓を大いに作った様子を実際に見た上で、殉葬者の奴婢の数とともに実測して径百余歩と殉葬者の奴婢は百余人って、報告したんだろうか?(塚の高さは測れなかったのかな?)
卑弥呼の死後の内乱の犠牲者千人余も魏国の役人が数えたんだろうか?
女王国の四千里の位置に小人さんたちの国は本当にあるんだろうか?
中国の使者の報告書は、正確に事実を伝えているんだろうか?
その報告書を基に、陳寿は魏志東夷伝を正確に編纂したと言い切れるだろうか?

魏志の記述を盲信しちゃったら、この人の説に行っちゃうよ。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E7%94%B0%E6%AD%A6%E5%BD%A6

(一歩=30cmなんて言い出すから、一瞬、この人の九州王朝説の中の短里説かと勘違いしちゃったよ。)

そもそも、魏志東夷伝倭人条の記述ってそれほど正確とは思えないんだけどね。
だって、対馬が方四百里で、壹岐が方三百里って時点で???でしょ。
対馬が正方形とは大きくかけ離れていて、方○○里で大きさは表せないはずなのをそう表示しているんだから、前方後円墳のサシワタシの長さで径百余歩と表示していたとしても不思議じゃないんじゃないのかな。
卑弥呼の墓の面積を求める算数問題じゃないんだからね。

中国の史書の中に出てくる「径+○○(数字)+長さの単位」は、円形の直径のみを表しているものだけなのか?

例えば、漢書武帝記における対匈奴戦についての記述にこんなのがあったはず。
「兵十八万余騎 旌旗径千余里」。
十八万騎が旌旗を押し立てて千里ほどの大きさの円陣を組んだということなのだろうか、十八万騎が旌旗を押し立てて千里ほども続いて行軍しているということなのだろうか?
後者と考えた方が自然じゃない。
だとしたら、径百余歩も円の直径に限定する必要はないんじゃない。

径百歩余っていうのは、円墳の直径なのかも、前方後円墳のサシワタシなのかも、方形周溝墓の周囲の道の距離なのかも特定できないんじゃないの。
どうせ、百人余の殉死者のあった墓って見つかっていないんだしね。

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銀魚さん

2017/1/523:48:19

径百余歩は150m前後らしいです。
箸墓古墳の後円部がちょうどその大きさで年代も重なるので、卑弥呼の墓ではないかと言われています。
前方後円墳は後円部が墓で、前方部は陸橋が発達した祭事を行う場所という認識なのでしょうね。

ちなみに日本書紀では箸墓古墳に葬られているのは倭迹迹日百襲姫というシャーマンだそうです。

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ポアロさん

2017/1/522:37:53

良い点に気付かれましたね。

機内論者はこの部分を「径」は「差し渡し」(単なる幅)の事だとか、工事途中の事だからだろうなどと言います。

しかし全文を読んで分かるのは葬祭や墓制は魏使にとって重大関心事であるという事です。
各国をめぐりその特徴を論ずる際に必ず墓制に言及します。その民族・風俗の差異が墓制に現れると考えていた故です。

九州に上がった際も「棺あって槨なし」とその墓制の研究結果に言及しています。これ墓の内部構造のことですから、かなり細かく分析し書き留めた事が分かるでしょう。墓は調査対象だったのですよ。

この魏使があの前方後援円墳をみて、特異な形状について一言も無いって有りうるでしょうか?
本来なら階段状の積み重ねなり、敷き詰めた玉石、飾りに立てた埴輪など、驚嘆すべき特異な物が一杯あるのにすべてスルーしているのですね。
何にも書き残していない。

もうこれだけで魏使が実際見たのは箸墓とか他の前方後円墳ではないと断定してもいいと思います。

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lin********さん

2017/1/522:08:54

前方後円墳なのかもしれませんし、円墳なのかもしれませんし、どうなんですかね?
有力なのは、畿内説では箸墓古墳ですが、箸墓ほど大きな古墳が卑弥呼のいた時代に限られるから畿内説では箸墓なのです。

円墳で文献のに相応しい大きさのものは卑弥呼の時代辺りにはないですね。

ちなみに歩というのは、中国の単位だったと思いますから、30㎝じゃないです。たしか。

他のかたよろしく。

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