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純文学って何ですか? 村上春樹『世界の終わりと・・・』には、「純文学書下ろ...

big_cat_pandaさん

2017/2/817:59:51

純文学って何ですか?

村上春樹『世界の終わりと・・・』には、「純文学書下ろし特別作品」って書いてあります。この作品って純文学なの?エンタメじゃないの?

とおもって質問させていただきました。

エンタメの分類もよく分かっていないのですが、よろしくお願いします。

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ベストアンサーに選ばれた回答

ju_enhageさん

2017/2/919:55:11

そのシリーズ自体、「タイトルに偽りあり」という感が無きにしも非ずなのです。
挙げていらっしゃる『世界の終りと~』は、仰せのようにエンタメ色が強い作品ですよね。
ほかにも、
遠藤周作著『スキャンダル』
倉橋由美子著『アマノン国往還記』
池澤夏樹著『マシアス・ギリの失脚』
山田詠美著『アニマル・ロジック』
等、娯楽性の高い作品は複数あります。
(すべてを読んだわけではございませんが)

純文学を多くなす作家氏に「枚数制限なしで長編を書かせる試み」をこのシリーズでやってみたところ、「エンタテインメントとしても上質なものができちゃった」といった感じなのではないか、とワタクシなぞは踏んでおります。

先の回答者さまたちと重複いたしますが、ワタクシも「純文学」「大衆文学」と線引きをするのは、意義あることではないと考えるひとりです。
また、受賞歴で作家氏を区分けすることにも、承服いたしかねます。

なぜなら、芸術性の高い作品をものするいっぽうで、娯楽性の強い作品をも著す作家氏は、少なくないからです。
芥川賞を受賞しながら、ポルノグラフィに転じてその世界の大家となった方もおられますし、若き日にはSF界の牽引役を担いながら、日本の現代文学に一石も二石も投じられた方もおられます。
また、いわゆる「純文学」賞の選考委員に、直木賞作家がいらっしゃる例もございます。

昭和の頃までは、どちらとも区別し難い作品を「中間小説」と称したりもしたものですが、現在ではすっかり聞かなくなりました。
このことも、「線引き不用論」に傾く理由です。

質問者さまが、単に「純文学の定義付け」をお知りになりたいのであれば、wikipediaあたりをざっと眺めておけばよろしいかと存じます↓
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8A%A5%E5%B7%9D%E9%BE%8D%E4%B9%8B%...
「挙げられている作品すべてが純文学」と結論するには反対ですけれども。

質問した人からのコメント

2017/2/10 07:22:15

質問に答えてもくださり、さらには質問内容に応じて踏み込んだ説明をいただきまして感謝いたします!

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decision2007さん

2017/2/919:00:34

村上春樹は純文学とは言っても読んでてけっこう面白いんで、かなりエンタメと純文学の境界にいるような気がします。

純文学と大衆文学の境界はかなり分かりにくいから、逆に「芥川賞を受けた作家だから純文学」「直木賞を受けた作家だから大衆文学(エンタメ)」で区別すればいいと思いますね。

同じように新潮社の「純文学書下ろし特別作品」のために書かれたのは「純文学」でいいんです。
ちなみにこのハードカバーのシリーズにはファンが多く、一つのブランドと化していて、作家名に関係なく固定読者数万と言われてました。
(私はファンではないので「世界の終りと~」以外には筒井康隆の「虚構船団」と丸谷才一の「裏声で歌へ君が代」と安倍公房の「方舟さくら丸」ぐらいしか読んでませんが)
そのためベストセラーとはいかなくてもけっこう売れるため、純文学系の作家が書きたがってたそうですよ。

あと、前の回答に「大衆文学」は一度読めば基本終わりっていうのがありますが、私は逆ですね。
おもしろい作品は何度でも読みたくなります。
半村良の「妖星伝」など何度読み返したことか。

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2017/2/910:37:59

純文学と大衆文学とか
語っている人間にろくな奴はいない。

建前を気にするだけの
エセ評論家気取りです。

作品が優れていれば、ジャンルなんて気にする必要がないし、大事なのは自分が好きか嫌いか ただそれだけです。

返信を取り消しますが
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ray00829さん

編集あり2017/2/918:09:13

エンタメ=大衆文学、芸術=純文学ということにして説明を試みます。

個人的な解釈では、
「純文学」:作品から様々な体験、知識、思考、感情などを享受でき、何度読み返しても新しい発見がある作品。

「大衆文学」:娯楽的な面白さに長ける作品。発見があまりなく、一度読めば十分な作品。

例えば推理小説においてこれを考えると、大衆的な推理小説はトリック・犯人(=結果)などが肝であり、一度結果を知ってしまえば、忘れない限り再び読み返そうと思えないものです。
けれども芸術(=純文学)と見なされるポーの推理小説は、読む度に発見があります。例えば『モルグ街の殺人』は、トリック・犯人(=結果)については肩透かしを食らうようなものですが、重要なのは結果へ行き着くまでの思考のプロセスにあります。事件という仮説設定によって、人間の思惟能力について深く様々なものを発見することができるのです。そのような思考実験的な要素があります。

即ち「大衆文学」が結果、表層を取り扱うのに対して、「純文学」はそれらの内にある過程、人間の精神、思考に重点が置かれていると思われます。

まとめると
「大衆文学」は一度読めば基本終わり
「純文学」は何度読んでも終わらない
ということです。

なお、これらは抽象的かつ一側面の分類であって、現実的具体的には「受賞した賞」によって決まります。
村上春樹は群像新人文学賞という純文学の賞でデビューし、他にも谷崎潤一郎賞など、純文学に分類された賞を受賞していることから、「純文学」に分類されるわけです。
ただし、批評家の間でも柄谷行人のように「世界的な商品」と純文学的な価値をあまり認めない者もあれば、福田和也のように村上春樹を文学的に評価する者もあります。海外でも様々な形で享受されています。これは一般の読者にしてもそうです。村上春樹に深遠な芸術的世界を見出すものもいれば、あなたのようにエンターテインメントとしても読める、という人など色々です。

このように、単純に割り切れるわけではありませんが、一応の説明を試みてみました。
参考になれば幸いです。

alph03strさん

2017/2/821:04:14

純文学に明確な定義はありません。
読者を楽しませるために書かれたものは娯楽小説と言われ、これに対して芸術性のある小説を純文学と言っています。娯楽小説と純文学の線引きはあいまいです。
大げさに言えば芸術性の高い絵画のように、その作家の訴えたいものだったり魂や生き様などを書きこんだ小説とでもいいましょうか。

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