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今川義元は人質の子女に手を付けていたのですか?

kunitationdaisotuさん

2017/3/1910:07:46

今川義元は人質の子女に手を付けていたのですか?

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tanpopo_1dさん

2017/3/1913:06:32

今川義元に限らず、戦国時代には権力のある支配者が人質の子女に手をつけることはよくあったようです。

最も、人質の子女の中でいわゆる「殿様お手付き」になるのは、女性よりも男性の方が多く、
人質の男女とも殿様のお手付きになる事は、人質自身および人質の実家が主君に多大な信頼を寄せられいる証し。
人質の女子が主君の子供を産めば、人質の実家はその子供(例え庶子だとしても)の後ろ楯として、主君の家臣たちにある程度の影響力を及ぼす事が出来ますし
男子に至っては、将来出世する事を約束されたようなものと考えられていました。
ですから、大河ドラマみたいに人質に主君の手が着いたと言って、人質の実家が主君を憎む事は極めてまれで。
逆に
よくやった
と、褒められるくらいだったようです。

そうやって
主君のお手付きになった
と言われている人質に、毛利元就の長男の隆元と三男の隆景がいます。
一説には、隆元は大内義隆の人質になっていた時に、主君である義隆のお手付きになり、人質を解かれて毛利家に戻った隆元は、義隆の世話で義隆の養女(大内家の重臣である内藤家の娘)を正室に迎えています。

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the_peepmanさん

2017/3/2417:21:07

通常、姫を人質に出す場合は、その家の嫁(側室)にして貰い、その家の血統につながり、家門集・一門衆となれる場合ですね。

秀吉・秀次の場合は、最初から側室として姫アサリをしちゃいましたが。

多くの武将の一門衆は、このつながりで一族として、固い結束を結んでいきます。
地域の独立した土豪から、戦国大名家の婿を貰う格好になります。
諏訪勝頼が結局武田勝頼になりました。

武田信玄の兄弟、息子たちは信州、上州など国人の婿になっています。
信長の2・3男も、それぞれ伊勢の名家・北畠・神戸氏に婿入りしています。


奥平定能は武田に出した人質を見殺しにして、嫡男信昌の正室に徳川家康長女を迎え松平の家門扱いを受けている例もあります。

主人・家来の息子を人質に差し出す場合は、近習として仕えさせ、将来の士官候補生としての見習いの感覚です。

2017/3/1910:23:22

人質の子女に手を付けて子供でも出来ると
厄介な事になるから、そんな行為はしない
でしょうね・・・


あたしに手をつけないでよ!!・・・

人質の子女に手を付けて子供でも出来ると
厄介な事になるから、そんな行為はしない
でしょうね・・・...

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hydyy777さん

2017/3/1910:17:30

付けてたやろな。とはいえ、秀吉の足もとにも及ばん。

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