ここから本文です

キング牧師のスピーチを読んでの感想文の添削をお願いします。

アバター

ID非公開さん

2017/3/2708:33:11

キング牧師のスピーチを読んでの感想文の添削をお願いします。

この勇気あるキング牧師の演説は、差別されてきた黒人だけでなく、現代に生きる私達にも大切なことを教えてくれた。

だが残念なことに、世界にはまだ数多く差別がある。

多くの人は差別はいけないことだと理解しているはずなのに、なぜ差別はなくならないのか。

私は、差別をする人は心の弱い人だと思う。自分よりも立場の弱い人を蹴落とすことで自分の立場を上げようとしたり、優越感に浸ったりしたいのだ。

ではどうすれば差別はなくなるのか。当たり前のことだが、私は一人一人が自分がされて嫌なことや、責任が取れないことはしないということを徹底する必要があると思う。

そして私たちが、キング牧師が望んだ全ての人が平等で人格の中身によって評価される世界、黒人も白人もない、女性も男性もない、国が違っても境遇が違っても全ての人が友人のように共に手を取り合える未来をつくりあげなければならない。


↓文字数が足りないため本文は後半のみです。すみません。


我々は、一人で歩くことはできない。
そして、歩くためには、前進し続けることを表明しなければならない。
我々は後戻りできない。

公民権運動に身を捧げる人々に対してこう尋ねる人たちがいる。「いつになればあなたたちは満足するのか」と。
我々は決して満足しない。黒人が、言葉に言い表せないような警察の恐ろしい虐待行為の犠牲者である限りは。
我々は決して満足しない。旅に疲れて重くなった体を休めるため、ハイウェイ沿いのモーテルや街のホテルに宿泊することができない限りは。
我々は満足しない。黒人の基本的な行動範囲が、小さなゲットーから大きなゲットーまでである限りは。
我々は決して満足しない。我々の子どもたちが、「白人専用」という表示によって、自我を奪われ、尊厳が損なわれる限りは。
我々は決して満足しない。ミシシッピ州の黒人が投票できず、ニューヨーク州の黒人が投票をしても意味がないと信じて疑わない限りは。
そう、決して、我々は満足しないのだ。
そして、我々は満足しない。「正義を洪水のように/恵みの業を大河のように/尽きることなく流れさせよ」(訳注・旧約聖書アモス書5章24節)。

私は、あなたがたの中に大変な試練と苦難から脱してきた人々が、今日ここにいることに対して気を留めずにはいられない。あなたがたの中に、刑務所の狭い独房から出てきたばかりの人もいる。そしてあなたがたの中に、自由を追求したがゆえに迫害の嵐に打ちのめされ、警察の虐待行為の逆風によろめいた場所からやって来た人たちもいる。あなたがたは、他にはない苦痛を受けた歴戦の勇者である。報われない苦しみは贖われるという信念を持って活動し続けよう。

帰ろう、ミシシッピへ。
帰ろう、アラバマへ。
帰ろう、サウスカロライナへ。
帰ろう、ジョージアへ。
帰ろう、ルイジアナへ。
帰ろう、北部の都市のスラム街やゲットーへ。
とにかくこの状況を変えられると、そして変わると信じて。

絶望の谷間でもがくのはやめよう。友よ、今日私は皆さんに言いたい。我々は今日も明日も困難に直面しているが、それでも私には夢がある。それは、アメリカンドリームに深く根ざした夢である。

私には夢がある。いつの日か、この国が立ち上がり、「すべての人間は生まれながらにして平等であることを、自明の真理と信じる」(訳注・アメリカ独立宣言)というこの国の信条を真の意味で実現させるという夢が。

私には夢がある。いつの日か、ジョージア州の赤土の丘で、かつての奴隷の子孫たちとかつての奴隷所有者の子孫たちが、兄弟の間柄として同じテーブルにつくという夢が。

私には夢がある。いつの日か、不公平と抑圧という灼熱の炎にさらされているミシシッピ州でさえ、自由と正義のオアシスへと生まれ変わるという夢が。

私には夢がある。いつの日か、私の4人の幼い子どもたちが、肌の色ではなく
、人格の中身によって評価される国で暮らすという夢が。

今日、私には夢がある!

私には夢がある。いつの日か、卑劣な人種差別主義者たちがいて、「連邦政府の干渉排除」や「連邦権力の無効化」という言葉を弄する州知事のいるアラバマ州でさえも、いつの日かそのアラバマでさえも、黒人の少年少女が白人の少年少女と兄弟姉妹として手を取り合うようになるという夢が。

今日、私には夢がある!

閲覧数:
2,136
回答数:
1
お礼:
500枚

違反報告

ベストアンサーに選ばれた回答

2017/3/2712:53:49

辛口だけどゴメン。

差別は心が弱い人がする訳ではないし、優越感に浸りたいだけでもない。
差別をなくす為に自分がされてやな事をしないというのも違うと思う。

差別の前提は認知の問題です。
一部の違いが全部に波及するという誤った(正確には誤ったというよりも個よりも群の統計的帰結)認識がその原因です。 統計的偏りよりも個への洞察が足りない、観察よりも類測を重視する近くのバグなのです。 言い換えるならば質問者様がいうような「差別を容認する現在では反社会的な思考」の問題と、このタイプの人間はこういう人だという偏見(知識や認識能力の欠落)という2つの問題から成り立っていると思われます。

みんなで作る知恵袋 悩みや疑問、なんでも気軽にきいちゃおう!

Q&Aをキーワードで検索:

Yahoo! JAPANは、回答に記載された内容の信ぴょう性、正確性を保証しておりません。
お客様自身の責任と判断で、ご利用ください。
本文はここまでです このページの先頭へ

「追加する」ボタンを押してください。

閉じる

※知恵コレクションに追加された質問は選択されたID/ニックネームのMy知恵袋で確認できます。

不適切な投稿でないことを報告しました。

閉じる