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国司大名は強かったのですか?

風船猫さん

2017/3/3122:47:46

国司大名は強かったのですか?

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ベストアンサーに選ばれた回答

2017/4/109:42:50

弱かったが権威はあったので味方するものは後を絶たなかった。

土佐の一条氏は関白も出せる摂関家の家柄と会って土佐の国人はこれをアンタッチャブルな別格の存在として奉ったが、長曾我部元親は土佐統一の際に当主を暴君として追放して幼君を立てるという措置をおこなってこれを併呑した。
しかし追放された元当主を慕うものがその後もいて、しばらくこの元当主は復帰のための策動を続けた。

飛騨の姉小路氏は後醍醐天皇が派遣した南朝系の国司であったので、室町時代になると幕府の派遣した京極氏の追討を受け壊滅した。
その後、いくつかの分家が飛騨に残って宗家争いや勢力抗争を幕府系勢力と繰り広げたが、共に衰退。
最後は出自不明の三木氏が姉小路氏末裔を名乗のり、大納言(後に中納言)を自称して織田信長の客人扱いになるまでになった。
しかしこの三木姉小路氏も、柴田勝家方に付いたために羽柴秀吉と敵対することになると、その部将金森長近が反三木勢力と自分の部隊のみで攻め込み滅ぼしてしまえるほどでしかなかった。

伊勢の北畠氏も元は南朝方で、しかも有力武将であったので室町幕府はこれを討伐し、姉小路氏とは違って支配下に組み込んだ。
北畠氏はそれなりの勢力を誇っていたが戦国大名化まではしきっていなかった上に、伊勢北部は勢力範囲外だったのでまとまりに欠け、やがて織田信長に屈し次男の織田信雄を養子に送り込まれた。
それでも北畠氏に味方しようという国人が後を絶たなかったので、織田信長は北畠氏の皆殺しを計画・実行し一族はほとんど殺されて、織田信雄が北畠唯一の生き残りに近い存在となって伊勢支配を任された。

質問した人からのコメント

2017/4/1 19:08:08

回答ありがとうございます!

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