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聖徳太子の呼称を厩戸王とすると文科省が言ってましたが、王というのは天皇の孫に...

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ID非公開さん

2017/4/2022:37:26

聖徳太子の呼称を厩戸王とすると文科省が言ってましたが、王というのは天皇の孫に対する呼称ですよね。聖徳太子は用明天皇の子どもなので厩戸皇子とすべきだと思います。文科省の判断はおかしくありませんか?確かに

文献には厩戸王の表記も見られますが。

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i_l********さん

2017/4/2601:22:40

聖徳太子は日本書記でも隋書でも太子と呼ばれています。

厩戸皇子または厩戸皇太子は日本書記に出てきます。

実際には全く逆で厩戸王という表記はどの歴史書にもありません。
いや聖徳太子と呼ばれた後の後年の江戸の書物にそう書いていたみたいだけですが
それだけです。
つまりこの厩戸王は使う頻度もほとんどなく聖徳太子と以下の後の世(現代)の後付の想像上の名前でしかありません。

と言うより厩戸王とは隋書も読めなかった大山の独りがってな解釈ということができるでしょう。

慶雲3年(706年)頃に作られた「法起寺塔露盤銘」には上宮太子聖徳皇

『古事記』(和銅5年、712年)では上宮之厩戸豊聡耳命
『日本書紀』(養老4年、720年)では厩戸皇子のほかに豊耳聡聖徳、豊聡耳法大王、法主王、東宮聖徳と記されています。

隋書にも太子の名前が出てきますので太子の敬称は除く事は難しいですね。

日本書紀の表記を使うのであれば現代では馴染みのない上宮皇太子を使うべきでしょう。
若しくは厩戸皇太子です。
王は法主王などが名称に使われています。

つまり隋書でも日本書紀でも太子は太子なのです。

簡単に言うと日本書紀と隋書はほぼ合致しています。

隋書に出てくる阿毎多利思北孤に関しても読みが足りないだけです。

業績もほぼ日本書記のものと同一言ってもいいです。
但しそれらの文書を全部聖徳太子が手書きしたとか
法隆寺を全部一人で建設したわけではありません。

聖徳太子は若くして皇太子だったのでいろいろな人に命令できたのです。
つまりいろいろな人の手を借りて事をなしたのだけは間違いないですね。


ちなみに私のノートの今の人が勘違いしそうな点を指摘した書き込みがあります。

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z_x********さん

2017/4/2107:52:29

「天皇」という言葉が聖徳太子(31代 用明天皇の子)の死後にできました。40代 天武天皇か41代 持統天皇の時と言われています。だから「皇」の字はこの時代には使ってなかったはず。

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hoc********さん

2017/4/2101:23:30

天皇号が成立する前は大王号を使用していたされ、その時期に大王の子をどのように表記していたかというのが問題なのでしょう。

また、古代は表記の揺れが大きく、一つの読みに複数の漢語を当てていたともされます。
読みは「みこ」で、漢字では王、王子、皇子、親王なども当てはまっていたとも。

sun********さん

2017/4/2023:24:58

文献と言っても、江戸後期の孤例らしいです。
史料事実とは言ひ難い、現代の造作と看做して良いでせう。
http://d.hatena.ne.jp/consigliere/20170223/1487850004

親王宣下を受けなければ、皇子でも「王」だった例は有ります。

当時、摂政や太子といふ地位が無かったことを重視する立場の人でも、
天武朝以前の天皇号はあっさり認めてゐるのは御愛敬でせうか。

中韓では、太子や世子の諡号は珍しくないのですが、
日本では、不登極帝扱ひにしてしまふことが多いので、
聖徳太子の一例のみを認めるのが厭なのですかね。

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