前に「秀吉が手紙の中でわしは信長ほど甘くはないぞと、かつて主君であった信長を呼び捨てにしていた云々」ということを質問をしたことがあります。
前に「秀吉が手紙の中でわしは信長ほど甘くはないぞと、かつて主君であった信長を呼び捨てにしていた云々」ということを質問をしたことがあります。 そのときの回答の中で「この時代での呼び捨ては敬意でもある」という回答がありました。 これは本当でしょうか?
ベストアンサー
主に西国を中心にした慣習でしたが、実名で宛所を記す「二字書」というものがあります。殿などの敬称もないこともありますが、少なくとも失礼な表現ではありません。なぜなら、外交書状や服属する大名への起請文で使われているからです。 本能寺の変後に秀吉が家康にあてた書状も実名宛てになっています。秀吉が西国経営をしていた影響でしょうか。 ただし、この習慣はあくまで一時期のものと思います。なにゆえこの習慣が生まれ、廃れていったのか、ということに関しては丸島和洋氏が論文を近々書くと聞き及んでおりますので、私としてはその成果に期待しているところです。
gpxさんがご指摘の家忠日記については、高橋修氏が論及されています。 家忠の同僚同輩に対しては、官途名や殿をつけて呼んでいるのに、家康は実名呼び捨てであることから、敬意表現であることを指摘しています。 これが変化していくのは豊臣政権下で官位序列に組み込まれていったからであるとの考えのようです。実力本位の時代においては実名呼び捨てがむしろ敬意の表れであり、平和な時代に移行するにつれて官位序列や実名敬避俗が復活してくるということなのかもしれません。
質問者からのお礼コメント
元主君より立場が上になったということで呼び捨てにするというのは、成り上がり者の成り上がり者たる所以かなとも思いましたが、まだこれから研究もされそうですね。 皆様のご回答に感謝いたします。勉強になりました。
お礼日時:2017/4/30 13:47