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大艦巨砲主義について。 軍事史について、よろしくお願いします。 太平洋戦争...

fal********さん

2017/5/509:59:55

大艦巨砲主義について。
軍事史について、よろしくお願いします。

太平洋戦争中、日本は空母と航空機の効果的な戦法を用いて(真珠湾攻撃など)その有用性に気付きながらも大艦巨砲主義を脱す

ることはできなかった、とよく批判されます。

恐らく一般論としては上級幹部の多くが大艦巨砲主義に偏っていたからと言われたりします。

しかし、私の友人が興味深いことを言いまして、恐らく航空優勢の時代になるとわかりつつもそれがしたくても「できなかった」からしなかったのでは?といいました。

その理由として、
1、戦術として損害のコスパなどは空母と航空機の方が優秀
2、しかし運用面(ガソリン、人材確保、砲弾の1発あたりの値段)のコスパで考えると艦艇の方が優れている。
3、当時の考えは航空機は使い捨てもったいない、艦艇なら多少損害あっても極端に言えば浮いていれば何とかできる。

などを挙げていて、興味深いと感じました。

皆さんはこの考えへの意見及び皆様の考えを教えてください。

よろしくお願いします。

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him********さん

2017/5/602:49:51

竣工が真珠湾攻撃前だったものを除き、真珠湾攻撃以降には日本は一隻も戦艦は建造してません。戦艦が建造できた国で最も先に巨砲主義を捨てたのは日本です。
ワシントン海軍軍縮条約締結で戦艦の建造数が制限されてしまいました。まあ、アメリカに無制限に船作らせたら絶対負けるという現実的な軍縮協定です。しかし、アメリカ5に対し、日本が3だったため、現実を分かってない人が、怒って暴走してしまったわけですが、それはおいとくとして。とにかく、日本は数がそもそもアメリカで劣るなら質で勝負するしかないと一隻当たりの大きさをでかくする超ど級戦艦を作れというのが大艦巨砲主義のそもそもの始まりです。ゆえに、そんな軍縮条約なんぞなければ大和なんか作る必要がないと誰もが分かっていたのです。昔の人も馬鹿ではないというより、今よりずっと優秀です。そして、この戦艦枠をすぐに使い切ってしまった日本海軍は空母に目を付けます。空母も一応の規定があったものの砲を積まなければ、練習艦として言い張ることができたので、日本海軍はこれに条約の抜け道をみいだしたのです。他の国の空母が中途半端に砲を乗せたり、装甲つけたりして、空母本来の性能を大きく落としていた時代に、砲や装甲を取っ払い大きな甲板をつけた軽く高速機動の空母をつくることになります。日本が練習艦と言い張ったこの空母こそが真の空母だったわけです。そして、その使い方を編み出したのも日本人でした。速力の高い空母は風上に向かって走ることにより、艦載機の爆弾の搭載量を増やすことが可能となり、空母の攻撃力を大きく飛躍させました。しかし、この空母、現在の空母と同様に大和以上の金食い虫だったのです。船自体は安いのですが、飛行機とその搭乗員の訓練にとてつもなく金がかかる。スペースの少ない艦上機は地上機よりはるかにメンテナンスが難しいのです。もし、こんなものを大量につくっても、肝心な戦艦を沈めることができなければどうするんだという意見が巨砲主義であって、正確には空母懐疑主義と言っていいでしょう。この巨砲主義とおっしゃってる人たちは空母より第一次大戦で実績のあった潜水艦を作れといっているのであって、大和よりでかい船を作れとは言ってません。金食い虫である空母主義側のレッテル張りだったと言えます。しかし、真珠湾(ここでは止まっている戦艦を沈めただけなので、まだ、懐疑的だった)、そして、マレー海戦でイギリス海軍を壊滅させてからは、一気に空母主義に流れが傾きすべての戦艦の建造計画が破棄され空母に改装されてます。そして、大戦末期、先に尽きたのは空母ではなく艦載機の方でした。そして、信濃など戦艦から空母に換装された船は乗せる艦載機もまともにないまま、出航し撃沈されてしまいます。空母懐疑主義者は、空母は、船の搭乗員、艦載機の搭乗員、その艦載機の整備員とこの3種をバランスよく供給することが非常に難しいと気付いていた人物たちで、それならば潜水艦だけの訓練を積む方が効率的ではないかとする、それはそれで正しい推測をした人たちでした。

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uri********さん

編集あり2017/5/601:30:25

その航空主兵論てのが通説では過剰解釈されてるようなとこありまして、どの国もそこまで空母に軸足置いてないんですよ。
この誤解は吉田満氏の『戦艦大和ノ最期』の一節が過剰に流布されたせいだとは思いますが。

その1
当時の空母(というか航空兵力)には全天候能力はありません。
夜間荒天は使い物にならないような不安定な戦力に全面依存するはずがないのです。
日本は大和型で打ち止めですが、米英仏はその後も戦艦就役させてます。
ちなみに太平洋戦争での砲雷撃戦

△エンドウ沖海戦(1942.1.27)
日:軽巡洋艦、駆逐艦
英:駆逐艦

△バリ島沖海戦(1942.2.20)
日:駆逐艦
米蘭:軽巡洋艦、駆逐艦

△スラバヤ沖海戦(1942.2.27)
日:重巡洋艦、軽巡洋艦、駆逐艦
米英蘭豪:重巡洋艦、軽巡洋艦、駆逐艦

△バタビヤ沖海戦(1942.3.1)
日:重巡洋艦、軽巡洋艦、駆逐艦
米豪:重巡洋艦、軽巡洋艦

△第1次ソロモン海戦(1942.8.9)
日:重巡洋艦、軽巡洋艦、駆逐艦
米:重巡洋艦、軽巡洋艦、駆逐艦

△サボ島沖海戦(1942.10.11~12)
日:重巡洋艦、駆逐艦
米:重巡洋艦、軽巡洋艦、駆逐艦

○第3次ソロモン海戦[第1夜戦](1942.11.12~13)
日:戦艦、軽巡洋艦、駆逐艦
米:重巡洋艦、軽巡洋艦、駆逐艦

◎第3次ソロモン海戦[第2夜戦](1942.11.14~15)
日:戦艦、重巡洋艦、軽巡洋艦、駆逐艦
米:戦艦、駆逐艦
※戦艦同士の打ち合い(霧島 vsノース・カロライナ、サウス・ダコタ)をした、太平洋では唯一の海戦

△ルンガ沖夜戦(1942.11.30)
日:駆逐艦
米:重巡洋艦、軽巡洋艦、駆逐艦

△アッツ島沖海戦(1943.3.26)
日:重巡洋艦、軽巡洋艦、駆逐艦
米:重巡洋艦、軽巡洋艦、駆逐艦

△クラ湾夜戦(1943.7.6)
日:駆逐艦
米:軽巡洋艦、駆逐艦

△コロンバンガラ島沖夜戦(1943.7.13)
日:軽巡洋艦、駆逐艦
米:軽巡洋艦、駆逐艦

△ベラ湾夜戦(1943.8.6)
日:駆逐艦
米:駆逐艦

△第2次ベララベラ海戦(1943.10.6)
日:駆逐艦
米:駆逐艦

△ブーゲンビル島沖海戦(1943.11.2)
日:重巡洋艦、軽巡洋艦、駆逐艦
米:軽巡洋艦、駆逐艦

△セントジョージ岬沖海戦(1943.11.24~25)
日:駆逐艦
米:駆逐艦

○レイテ沖海戦[スリガオ海峡海戦](1944.10.24)
日:戦艦、重巡洋艦、軽巡洋艦、駆逐艦
米:戦艦、重巡洋艦、軽巡洋艦、駆逐艦、魚雷艇
※日本の8隻の艦隊は、戦艦がアメリカ戦艦に打ち込む前に、魚雷艇、駆逐艦の魚雷、巡洋艦、戦艦の砲撃でほぼ壊滅し、日本の駆逐艦1隻が生き残っただけだった

○レイテ沖海戦[サマール沖海戦](1944.10.25)
日:戦艦、重巡洋艦、軽巡洋艦、駆逐艦
米:護衛空母、駆逐艦、護衛駆逐艦
※戦艦が護衛空母に砲撃したとか、護衛空母の砲撃で重巡洋艦が沈黙した珍しい砲雷戦

とまあ大艦巨砲主義がモノをいう戦闘がこれだけあるのです。

その2
単純に戦力投入コスパ
真珠湾以降、戦艦は航空攻撃に為す術なく沈められたイメージありますし、実際そうなんですけど、その中身はというと
プリンス・オブ・ウェールズ=陸上大型機80機余
武蔵=正規空母4隻
大和に至っては正規空母7、軽空母4の計11隻です。
新鋭戦艦はこれほど戦力集中しないと沈まないのです。
戦艦ならスペック十分であればタイマン可能、2対1なら圧勝できます。
天一号作戦時、スプルーアンスは当初戦艦部隊(第54任務部隊)に大和迎撃を命じてます。
この時期の米ですらそういう頭を持っていたのです。

また地上への艦砲射撃の威力は航空爆撃の比ではなく強力です。

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pf_********さん

2017/5/521:34:37

世界中の海軍が真珠湾まで大艦巨砲主義でしたが
真珠湾以後日米海軍は空母中心に変わっています。

大艦巨砲主義が変わらなかったというのは
実際の戦史を知らない、想像でものを言っている
人達だと思います。

ただし、すでに大量に作った戦艦をいまさら破棄する
わけにも行きませんし

提督たちは皆、明治時代に海軍士官になって、提督に
なるまで戦艦の運用法を何十年も研究してきていますが
航空機の運用はよく分からなかった人も多いわけで

日本のように年功序列人事の国では、飛行機のことを
よく知らない人達が指揮官になって戦っていたという
ことでしょう

Scullさん

2017/5/512:12:43

真珠湾攻撃以降、日本海軍は戦艦の新規建造をしておらず、戦艦として建造していた感も空母として建造しているので、そもそも「日本が大艦巨砲主義から脱却できなかった」という意見自体が間違いです。

太平洋戦争開戦以後に起工した大型艦は阿賀野型酒匂以外はすべて空母。
はっきり「大艦巨砲主義ではない」と言えます。

「これからは艦載機だ」と気がついたとして、そんなに二日三日で空母や艦載機がそろうわけもない。新戦力がそろうまでは既存戦力でなんとかやりくりしなくてはいけないのは「当然」だと思います。それを「脱却できなかった」といいきるのはあまりに不明かと。

ねこそぎさん

2017/5/511:57:51

たしかに物資の不足は要因でしょう。日本海軍はおよそ20隻の空母を運用していて開戦後に送り出した空母は大鳳1隻でした。アメリカ海軍は第二次大戦に200隻近い空母を送り出して当然すべてに航空機と武器弾薬を供給しました。
でも特攻は航空機と搭乗員の無駄遣いで航空機不足をさらに助長しました。なので物資不足だけでは説明出来ない気がします

編集あり2017/5/510:21:44

http://www.geocities.jp/bbhusou/gunji/column08.html

単にアメリカは、戦艦も空母も作れる力があった、
日本は作れなかった、ということです

空母の数だけを見ると日本は空母を重視していなかったように見える
戦艦の数を見れば、日本の方が戦艦主義からだっしていることがわかる

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