ここから本文です

雨月物語の青頭巾に登場する証道歌

fcw********さん

2017/5/1207:35:51

雨月物語の青頭巾に登場する証道歌

「江月照らし松風吹く 永夜清宵なんの所爲ぞ」
とありますがこの二句の真意とは一体なんだったのでしょうか?いろいろ調べましたがわかりませんでした。

閲覧数:
394
回答数:
3
お礼:
100枚

違反報告

ベストアンサーに選ばれた回答

kiy********さん

2017/5/1210:16:08

随分昔に現代語訳でしか読んだことがないので、不確かですが

確か、そこには、
「月は川の水を照らし、松を吹く風は爽やかである。
この永い夜、清らかな宵の景色はなぜあるのでしょう。」
とただ秋の宵の美しさを素直に詠んだだけの歌なのだが、これを公案として与えることで、住職の意識を公案に集中させ妄念を抱かせないためだった。
と、解説されていました。

禅師の狙い通り、住職は一心に公案の答えを求め続けて妄念を忘れてしまった。
最後は、公案を考えるだけの念の姿となり、禅師の「何の所為ぞ」という喝で、その念も消えてしまった。
妄念を滅して公案の答えを求め続ける念となり、それも消えてしまう。
全ては無、なのでしょう。

「江月照らし松風吹く 永夜清宵なんの所爲ぞ」
の意味を妄念を抱いたままで「ああだ」「こうだ」と考えている姿は、青頭巾の住職の坐り初めの姿と同じかも、です。

返信を取り消しますが
よろしいですか?

  • 取り消す
  • キャンセル

質問した人からのコメント

2017/5/14 20:42:47

皆様回答ありがとうございました。ベストアンサーは、1番納得した解釈ということで選ばせていただきました。

ベストアンサー以外の回答

1〜2件/2件中

並び替え:回答日時の
新しい順
|古い順

com********さん

2017/5/1300:51:23

私は勝手に「所爲」を「なすところ」と読み、
「なんの所爲ぞ」を「お前は何をするつもりか」と解釈していました。

大自然の中で、人間の煩悩や欲など一切なきに等しく、「何をするつもりか」と問われても、なすべきことなど何一つない。
それを理解し、受け入れた時、彼は自分自身から解放されたのでしょう。

返信を取り消しますが
よろしいですか?

  • 取り消す
  • キャンセル

プロフィール画像

カテゴリマスター

lie********さん

2017/5/1209:13:28

執着や妄念を払い心を空にして自然の中に身を置き、解脱せよ、
という教えだと思います。

返信を取り消しますが
よろしいですか?

  • 取り消す
  • キャンセル

みんなで作る知恵袋 悩みや疑問、なんでも気軽にきいちゃおう!

Q&Aをキーワードで検索:

Yahoo! JAPANは、回答に記載された内容の信ぴょう性、正確性を保証しておりません。
お客様自身の責任と判断で、ご利用ください。
本文はここまでです このページの先頭へ

「追加する」ボタンを押してください。

閉じる

※知恵コレクションに追加された質問は選択されたID/ニックネームのMy知恵袋で確認できます。

不適切な投稿でないことを報告しました。

閉じる