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幕末でわからないところがあったので、拙い文章で申し訳ありませんが詳しい方教え...

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ID非公開さん

2017/5/1708:08:15

幕末でわからないところがあったので、拙い文章で申し訳ありませんが詳しい方教えていただけると嬉しいです。

①日米和親条約が結ばれる前、阿部正弘が幕府だけでなく朝廷に報告したり大名に意見を求めたことで、朝廷の権力が増し大名の発言力が増した、と教科書にあるのですが、なぜ朝廷は報告されただけで権力が増したのでしょうか?これが幕政からの転換になる契機だとは思えないのですが

②前水戸藩主の徳川家斉を幕政に参画させたのはなぜですか?

③安政の改革で島津斉彬や松平慶永や伊達宗城を登用したのはなぜですか?

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ベストアンサーに選ばれた回答

trd********さん

2017/5/1710:55:36

①日米和親条約は幕府が独断で締結した後に朝廷に報告しているので、それは日米修好通商条約のことで老中は阿部正弘ではなく堀田正睦ですね。
形式上は天皇(朝廷)が将軍(幕府)より上位ですが、すでにその頃には幕府の実質上の権威の低下も顕著になっていました。
なかでもペリーの開国要求は「未曾有の国難」「神州の一大事」ということで、天皇の許可(勅許)を仰ぐだけでなく、朝廷が幕府に指示命令をするようになります。
なので「報告されただけ」ではなく、朝廷が幕府に対してああしろこうしろと指図、命令をするようになったのです。
②水戸藩主は徳川斉昭です、家斉ではありません^^松平慶永や島津斉彬といった一橋派の大名の要請だったと言われています。
③将軍家定の能力不足、幕府内の人材不足から有能な有力大名の協力が必要でした。

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質問した人からのコメント

2017/5/19 21:20:21

わかりやすかったです
ありがとうございます^_^
斉昭間違えちゃいました、ご訂正ありがとうございます

ベストアンサー以外の回答

1〜1件/1件中

2017/5/1716:40:34

1 これまで幕府は全て単独で取り仕切ってきましたが
これで朝廷にお伺いを立てるという慣例を作ってしまったわけです
後の浪士達が勅許と騒ぎ出すのは
天皇の許可を取れということで
これが元になってしまいました
後のいろんな事件にも岩倉具視の影が見え隠れします
彼がこのお伺いという何でもない行為を大きくしていったのです
彼ほど凄みのある策士はいないですな

2 阿部は徳川家斉を優秀とは思ってません
好き放題されるより手元において操ろうとしたのです

3 こちらは優秀だと思ったからです

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