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【哲学的ゾンビ】

zax********さん

2017/5/1710:04:01

【哲学的ゾンビ】

「外面的には普通の人間と全く同じように振る舞うが、その際に内面的な経験(意識やクオリア)を持たない人間」と定義されていますが、自我もないのに周りの人と同じように振る舞えるのでしょうか?

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but********さん

2017/5/1710:53:41

つまり会話している相手が見た目そっくりなロボットでないと言い切れないということです

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tam********さん

2017/5/1715:47:38

人間が振る舞う時、自我とか主体によって振る舞っているのでしょうか?

自我とか主体がなくても、振る舞えると思います。

そしてあなたは「外面的」とか「内面的」とか言っていますが、いったい人間に「内面」なんてあるのでしょうか?

批評家・柄谷行人は「日本近代文学の起源」という本の中で、人間に「内面」がつくられたのは明治時代で、それは言語改革の結果だといい、明治以前の日本人には「内面」というのは存在しない、と言っています。

また、フーコーは「性の歴史」で、西欧の人間に「内面」が作られたのは1215年のカトリックの「告解制度」で、神父と信者が懺悔室で罪の告白をしたことに始まると言っています。

いいかえると、「内面」というのは、人間にもともと備わったものではなく、人為的に作られたものだということです。

人間に「内と外」がある、という考えは17世紀にデカルトが心と身体を分離し、精神と物質を分けた結果、心とか精神は「内」に、身体とか物質は「外」にあると思われたことに始まります。
しかし、現在では人間に「内と外」という区別はないと思われるようになりましたから、構造主義者のいうように私たちは自我とか主体がなくても、喋ったり、行為したりできると考えられるようになりました。

従って、人間と哲学ゾンビの区別はひじょうに難しいと思います。
同じ振る舞いをしている限り。

一緒に長い間、生活をともにすれば、区別がついてくると思いますが、それでない限り、区別するのは困難です。
いろいろな状況のコンテクストがあり、その中で人間と哲学ゾンビの応答、振る舞いを比較して、何となく分かってくるというものではないでしょうか?

kai********さん

2017/5/1710:20:14

私は哲学的じゃないゾンビですが周りと同じ様に振舞うことが苦手です。

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