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サマタ瞑想とヴィパッサナー瞑想ってどっちがいいのでしょうか?それぞれの目的(効...

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ID非公開さん

2017/5/2100:17:16

サマタ瞑想とヴィパッサナー瞑想ってどっちがいいのでしょうか?それぞれの目的(効果?)を教えてください。

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zen********さん

2017/5/2215:28:14

サマタ瞑想とヴィパッサナー瞑想は両方やるのがおすすめです。
仏教の八正道の正念がヴィパッサナーで、正定がサマタです。
ヴィパッサナーは客観的に観る瞑想(観の瞑想)で、サマタは集中して思考を停止する瞑想(止の瞑想)です。

テーラワーダのヴィパッサナーはラベリングという言葉を使うのであまりおすすめできません。悟りとは言葉と思考を離れることだからです。

おすすめは1日1時間程度の坐禅(サマタ)と坐禅していないときはずっとマインドフルネス(ヴィパッサナー)を行うことです。1日のほとんどが瞑想になれば、悟りの体験(見性体験)が訪れるのも近いでしょう。

坐禅会・瞑想会情報を載せておきます。
https://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n398198

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Inotinetさん

2017/5/2214:29:51

頭の使い方を二つに分けてしまうところで、違うんじゃないですか?
話が半分になっちゃっている、生命は半分に切り分けられません。佛法としては只管打坐の坐禅しかないですよ。

どちらが良いかというご質問ですが、「何の目的のために」でしょうか。
完璧な滅苦のため、素晴らしい解脱のためなら、どちらも重要です。


出家したばかりの比丘がブッダに「私は何をすべきですか」と質問した時、ブッダは「サマタも、ヴィパッサナーも」と言われています。

この二つは、仏教の実践項目を二つに分けて表現した言葉で、三つに分けて言うと「戒・サマーディ・智慧」になり、八つに分ければ「正しい見解、正しい望み、正しい言葉、正しい業、正しい生活、正しい努力、正しいサティ、正しいサマーディ」である八正道になり、名前は違ってもどれも内容は同じです。


1.正しい見解は苦の知識、苦が生じる原因の知識、滅苦の知識、苦の消滅に見たる道の知識である四聖諦で、

2.正しい望みは愛欲から出る考え、復讐しない考え、加害しない考えで、

3.正しい言葉は嘘を言うことを避け、仲違させる発言を避け、粗暴な言葉を避け、キリもなく話すことを避けることで、

4.正しい業は動物を殺すことを避け、所有者が与えていない物を盗ることを避け、性的に間違ったすべての振る舞いを避け、

5、正しい生活は間違った生業を捨ててしまい、正しい生活を営みます。

6.正しい努力とは当然まだ生じていないすべての悪を生じさせないために努力し、努力を始め、決意し、満足します。まだ生じていないすべての善を生じさせるために努力し、努力を始め、決意し、当然満足します。生じたすべての善が古びないよう永続させるために、成長・発展・完成のために、満足し、努力し、努力に関心を持ち、決意します。

7.正しいサティは、平素から体の内面を熟慮している人で、罪を燃やす努力があり、全身に行き渡る感覚があり、世界の満足と不満足を取り出してしまえるサティがある四念処で、

8.正しいサマーディは初禅、二禅、三禅、四禅です。


八正道を三つにまとめれば、23456が戒で、78がサマーディで、12が智慧になり、34は五戒で、

二つにまとめれば345678がサマタで、12がヴィパッサナーです。

だからブッダの教えは時によって違う教えを説いているのではなく、いろんな名前を使っていても同じ内容なので、サマタとヴィパッサナーは一緒でなければならず、八正道の八項目全部があるようにすることが肝心だと思います。

aru********さん

2017/5/2207:33:19

一般的に、仕事にしてもなんにしても、その目的や意味を深く理解しているか否かは、過程と結果に大きな影響を与えますから、ブッダがなぜ二つの瞑想法を教示されたのか?その意味を知ることはとても大切なことだと思います。

そこで瞑想は心を対象とするものですから、当然、人の心がどのような仕組みなのか、どのように成立しているのか、を先ず理解しておく必要があります。
以下、私独自の表現なので
「ふ~ん、そんなふうにとらえるひと、いるんだ~」
ぐらいでご覧いただければ幸いです。
たぶん長いです



さて、まず人は誰しも自由と幸福を求めています。
嫌な不快な状態は避け、好ましい状態であればさらにより良い状況を求め、つねに安楽な状態にある自己の実現を切望して生きています。

即ち、人はつねに、

①快と楽を絶対的な判断基準として思考し、選択し、
②未来における〈安楽な自己イメージ〉を内面に構築し、
③その実体化を希求している

ということであり、人の心の働きは、大きくこの三つの部分に分けられるということになります。
概説しますと、それぞれ、

①はいわゆる快感原則に基づく根源的生存欲求であり、(人間に限らず)あらゆる生命体は、この原則を基準として個体を生存・存続させています。

②は少々難しいのですが、人は直接、外界を認識することはできません。
一旦、外部からの感覚情報を内面に取り入れ、それを内部から(①のフィルターを通して)認識し、外界を認識しています。
ですから、ある人が認識している世界は実際の世界ではなく、その人がイメージした、いわばファンタジー?世界というべきものであり、実際の世界とはズレがあるわけです。
※たとえば、「間違い絵探し」で、右の絵を憶えて(頭の中にイメージして)左の絵と比べ異なる点を探すわけですが、目の前にあるのにも関わらず、見えない場合があります。それは、実際の左の絵を見ているのではなく、頭の中の右の絵を重ねて(自分の内面の映像を)見ていることに原因があるわけですね。
したがって、個々の人にとって世界とは、実際には、内面に知覚され、認識され、想起されたイメージが世界のすべてということになります。

③は、そのまま、眼・鼻・耳・舌・身・意の感覚情報~識別によって惹起された欲求です。


ここまでをまとめると、
人は、

A:「眼」によって「色かたち」を「識別」し知覚すると、
B:①の判断基準によって、自己の内面に次の瞬間(未来)での〈安楽な自己イメージ〉の内面世界を構築し、
C:そしてその実体化を欲求し、行為を選択し、
D:その行為の結果によって再び、A:苦楽を内面世界で感覚~識別し、B:幸不幸を内面世界=「心」で感じ認識している

ということになります。(以下、耳・鼻・舌・身・意も同様。)



サテ、このように考えていきますと、①の判断基準に基づく限り、人は絶対に、真の自由と幸福を得ることが出来ないことがわかります。
なぜならば、
人の内面に展開される認識世界には、永遠に続く喜び楽しみはなく、終わりのない悩み苦しみもまた存在せず、あるのは、ただ無限に続く苦と楽の感覚の変化のみであり、変化することのない、絶対的な安楽の感受は存在しないからですね。
もしも、一旦、感受された苦が去り、楽を得られたとしても、それは再び去り、離れ去ったものは必ず苦へと変わります。

言い換えるならば、この変化する世界にあって、快と楽を求める限り、それ(快感原則に基づく内面世界)は人にとって、未来永劫、苦と楽を無限に繰り返す「苦」の世界に他ならず、苦としての〈自己〉=〈内面のイメージ世界〉を形成し続ける、ということであり、
苦と楽の本質と、その帰結を知らなければ、あるのは「一時的な満足」と「将来への不安」のみであり、その人は、希望と願望(欲望)に囚われ、使役され、この世の終わりまで、決して真の自由と幸福を知ることは出来ない、
ということになります、、、まぁ、一種の地獄です。



サテ、そうすると、どうすれば、絶対なる、変化することのない真の心の自由と安穏を得ることが出来るのか?

答えはすでにお察しのことと思いますが、
①~③を引っ繰り返せばよいわけです。
すなわち、

■①の「これは快と楽である」という絶対的判断基準を「これは苦である」と変更し、
■十二処・十八界で苦楽を識別してしまう「自己」という枠(束縛)を「これは〈わたし〉ではない」「これは〈わたしのもの〉ではない」「これは〈わたしの本体〉ではない」と取っ払い、
■感受~識別されて惹起された欲求を捨て去り、止滅すれば、

必然、絶対的な安楽が残るわけです。
苦楽を感受し判断する〈わたし〉も、基準も、欲求もないわけですから。


そこで、心のこの三つの働きを変更する訓練=瞑想が必要となってくるわけですね。(やっと本文デス!!)


伝統的な解釈では、

・戒によって(下位の)欲求などの煩悩を引っぺがし、心をひとつにまとめられるよう整理し(←これだけでも鬱陶しく付きまとう想いと欲求から解放されるので心が安楽になる)、
・定(四禅定・サマタ・止)の瞑想によって、心をひとつにまとめる(←とにかく心をひとつにまとめて把捉しないことには、〈わたし〉を解体できないので)
・慧(四念処・ヴィパッサナー・観)の瞑想によって、〈わたし〉のあっちこっち生起と衰滅を観察し、バラバラ解体し、〈わたし〉の枠をぶっ壊して、四聖諦を直観し(←新たな絶対的判断基準とし)、その明智によって無明をぶっ飛ばす

となり
戒が満足してなければ(心が煩悩で散乱してるので)定は得られず、戒と定がなければ(心がひとつにまとまってないので)慧による深い心の観察はできません。

ですから、ご質問の回答としては、
「心の仕組みとそれぞれの実践&瞑想法の目的と効果から、どちらがいいというものではない」
ということはご理解いただけるかと思います。


さて、さらに深く追求しますと、
上記、戒・定・慧の行について、便宜上、段階的に述べましたが、
しかし実際には、
慧の瞑想は、戒の段階から同時に行う(というより四聖諦に基づき心を意識し観察する)ことが本来の目的(①の変更ですね)に適います。

なぜならば、人間の一日の生活というのは、座って瞑想している時間より、それ以外の時間の方がはるかに多いからですね。
だからこそ、正見という正しい考え方、すなわち、四聖諦に基づく24時間の有り方=八正道の実践がとても大切なこととなるのです。

したがって、戒は一般的に、
・安楽を求める自己中心の欲求を「〇〇しなければならない」あるいは「〇〇してはならない」として戒めること、
と理解されているものの、
戒の本質から言うならば、
・内心のその自己中心的欲求をつねに観察し、その欲求の言いなりになった後の苦や災難を推察・想像することによって、防止・捨断・止滅させることが主要な目的である
ことがわかり、その延長線上に慧の瞑想があることが理解できます。

またそのように慧によって戒めを実践するならば、実際に消滅させることが可能となりますし、自己の心の欲求を捉え、詳細に観察することが出来るようになります。(習熟すれば、足を上げたり、息を吸ったりなど、ほんのわずかな動きであっても、快と楽を基準として動いていることが観察できる。またすでにそこまでの境地になっていればすんなり定に入ることが可能となり、慧の瞑想に入ることができるでしょうし、意思の力で現在とは異なる新しい体を作りだすことができるでしょう)
もし、それでなかなか断てない場合(定もそうですが、前世の業により個人差がある)、ブッダは他に方法を四つ説かれています。中部経典の、、、どっか

※この戒の本質ということに関し、戒と定の間に、感官の防護(感官の感受の苦楽を観察して欲求を厭離・捨断する)という修行項目があり、これを戒のひとつとして数えている初期経典もあります、、、中部経典のどっか
まぁ、戒と定(サマタ)を繋ぐ項目なわけですね。


いずれにせよ、もしブッダの教法を実践して、真の安楽を得られたいと思うならば、初期経典は(核心を押さえている限り)真の安楽に至る瞑想と実践の宝庫ですし、在家者の社会生活・日常生活にも大いに活用できますので、是非とも、一読、、といよりテキストとして手元に置かれて再三再四熟読され、いずれかの師の指導を受けられることをお勧めします。


以上、駄文・誤変換等ご容赦ください

man********さん

2017/5/2207:00:26

サマタ瞑想の究極目的は五上分結の掉挙を取り除くことにあります。
つまり、理論的にはずっとサマタが可能で掉挙悪作が生じなければアラハンということになります。

心の高揚、浮き沈みを無くすことです。そこには一つの境地があります。
ですから、禅定に入る前の近行定や禅定中の安止定はサマタです。

ヴィパッサナー瞑想の究極目的は五上分結の無明を取り除くことにあります。
経典や通説はサマタ瞑想は一切智慧が増えないとされています。

現在はラベリングをヴィパッサナー瞑想の端緒となる刹那定のために利用します。

なお、スマナサーラ長老はヴィパッサナー瞑想の端緒としてサマタ瞑想としての慈悲を用いることを推奨しています。
また、グナラタナ長老は近行定としての慈悲の瞑想を安止定の端緒とするように推奨しています。

スリランカでは慈悲を使った瞑想を実践的に利用しているので、修行上は大乗仏教の伝統が多く残されているのかもしれません。

zys********さん

2017/5/2108:53:25

「どっちがいい」というものではありません。
両方大事です。

サマタというのは集中力を養う瞑想です。
ヴィパッサナーは「気づき続ける」瞑想ですが、
そのためにはサマタの集中力が絶対的に必要なのです。

よく「釈尊が悟ったのはヴィパッサナーによる」と
サマタは必要ないような考えの人もいますが、
釈尊は滅尽定という究極のサマタを経験された上で
ヴィパッサナーを行ったのです。

つまり「集中力がなければヴィパッサナーもない」
ということです。

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