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なぜD51の機関車は有名なんでしょうか?

babbawatosonさん

2017/7/1118:27:13

なぜD51の機関車は有名なんでしょうか?

何気にネットニュースに『<JR山口線>44年ぶりD51走行 試運転に大勢のファン』との記事を見てふと思ったのですが、なぜD51の機関車はそんなに有名なんでしょうか?

私は鉄道オタクではありませんが、そんな私でも唯一、D51(デゴイチ)だけは何故か子供の頃に『デゴイチ、デゴイチ』と呼ばれていたのが記憶に有り、知っています。

なぜD51の機関車だけこんなに有名なんでしょうか?
昔、D51を題材にした小説やアニメ等が流行った事が有ったからなのでしょうか? (・・?

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locoworkslkmさん

2017/7/1216:18:21

yoneya7さんの回答がベストですが。

天邪鬼的に 補遺いたします。

D51 はデゴイチ、デコイチとも言われ

日本の動力車としては 1115両と最大で 日本国中

どこでも見られました(四国を除く)。

また 樺太(旧ソ連)には日本領のころのみならず日本の敗戦により
ソ連領に成ってからも輸出されました。台湾、中国の海南島(これは
戦前)韓国にも輸出されました。
つまり 東アジア1067㎜軌間の1-D-1 蒸気機関車 の標準型です。

軸配置1-D-1ミカド は日本のスメラミカド(天皇陛下)にちなみ
アメリカ、ボールドウインが世界最初に日本に輸出した9700形の
軸配置1-D-1につけた 愛称です。
欧米の軸配置愛称で日本由来はこの1-D-1ミカドのみです。
たとえばC62軸配置2-C-2は ハドソン(またはバルチック)です。

しかしD51は 島秀雄氏が会心の作として世に送り出し、鉄道
ファンを初め多くの人々の賞賛を浴びましたが 実は現場では
特に初期型のなめくじタイプの評判は芳しくありませんでした。

①キャブ(運転室)が小さく窮屈で 弁当の置き場所にも困る とか
D50の大きな運転室 の方が評判は良かったのです。
外観上キャブが小さく 前輪も内側に寄って 引き締まった
すばらしいスタイルなのが居住性の悪さになったようです。
②動輪 4軸の重量配分がキャブ側が大きく空転しやすかった との
ことです。D51ではなくD50を 所望した機関区もありました。
D51の2次形(標準型)では 給水温め機を煙突の前に置くなど
重量配分を調整し、キャブも拡大 されました。
後に1次形D51は前ランボードにコンクリート片を乗せるなども
しました(戦時中)。

D51といえば 貨物用機関車 戦前室蘭本線では単機で2600トンを
牽引し(石炭輸送、やや下り勾配でしたが)これも破られておりません。
また中央線、信越線など 勾配区間では旅客列車も牽引していました。

何にしろ 日本を代表する蒸気機関車なのは間違いありません。

(過日アメリカの鉄道ファンの友人がD51498を見て
”すばらしいバランスのナロー(狭軌)SLだ。
コロラドのD&RGWのK-27 の這いつくばったのと
比べて すばらしい。”と言われ ちょっと複雑な
心境になりました。)

yoneya7さんの回答がベストですが。

天邪鬼的に 補遺いたします。

D51...

  • 質問者

    babbawatosonさん

    2017/7/1801:31:33

    回答頂いた皆さん、ありがとうございました。locoworkslkm様の欄をお借りして皆様にお礼申し上げます m(_ _)m

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yoneya7さん

2017/7/1214:03:22

D51は、とても使いやすい蒸気機関車でした。

これを作った鉄道技師は、島秀雄といいます。南満州鉄道で130km出せる蒸気機関車や、初代の新幹線を作った人です。

それまでには、貨物型と急行型に分かれていて、東海道線の最速列車はC-53(Cは動輪が大きく高速型で3つ、Dは貨物用に4輪です)で速いですが、1000分の25という急勾配には不向きで補機が必要になります。

D-51は、最高速度は、C53より遅いですが一人で貨物列車の25勾配を牽引出来ました。

貨物機として生産されましたが何でもできるので、大活躍して1115両も生産されて、客車も引いていました。


C53や後にできるC62は、高性能なのですが蒸気機関の構造が複雑で、製作にも手間がかかり、保守点検も大変でした。

D-51デゴイチはその点保守点検がしやすく、何でも役に立つ機関車なので、お客も機関士も使いやすかったのです。

1975年頃まで現役で各線を元気に走っていました。その後ディーゼル機関車で急行列車も引っ張れるDD51ができたので、活躍の場所から順次引退していきました。

有名な小説「塩苅峠」「多いなる旅路」もデゴイチが主人公で、原爆救援列車もデゴイチです。

にほんで、最も活躍した蒸気機関車です。

2017/7/1123:15:21

D51は戦前、最も多く製造された貨物用機関車(1115両)で有名になりました。D51は機関車の中でも高い汎用性があり大量に生産されました。
戦時中は物資輸送で多くの機関車が駆り立てられました。その時に沿線住民らは「いつもの」という印象を受けたのでは無いでしょうか。
大東亜戦争も中盤に差し掛かると金属が足りなくなってくると蒸気機関車が徴収されてしまい、その希少価値が高まります。
戦後に残ったD51で旅客列車を運行したのも1つの要因です。

まあ、大雑把に言ってしまえば「日本はD51ワールドで多くの人にその雄姿を見届けられた」ですね

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2017/7/1119:49:50

なぜでしょうね?
本線を走った最後の営業列車がD51だった、というのも関係有るかもしれません。
最後の営業機関車は、9600ですけどね。
あと軸配置がミカドというぐらいで、有名な軸配置ということもあるかもしれません。

2017/7/1118:56:01

本の影響は、あるでしょうね。

古い子供向けの本でアニメにもなった「機関車やえもん」も、「トーマス」も、ベースの機関車がD51ですから。

ただ、別の理由として製造両数1115両と日本の蒸気機関車で最大の製造両数を誇ること、煙突から蒸気ダメなどを一体型のカバーをした通称ナメクジ型、運転台までカバーをした通称スーパーナメクジ型、ごく普通の標準型、戦時中に作られた戦時型とバリエーションが多いこと、貨物用の機関車でありながら使い勝手の良さから客車牽引までこなしたこと、D61やC61に改造されたこと、一部の山線での三重連や四重連という伝説的な牽引記録があることなど、話題に事欠かないからもあるのではないでしょうか。

私もD51は小さい頃から大好きな機関車です。

鉄道模型はHOをやりますが、10両持っている蒸気機関車の模型の中、4両がD51です。

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pitchon99さん

2017/7/1118:49:20

単純に数が多いからですよ。
蒸気機関車だけではなく、その後のディーゼル、電気機関車を含めても最大の数作られました。
単独で1000両を越し、国内向け1115両、ソビエトなど外国向けも含めると1180両(wikiより)も作られれば自然に機関車の代名詞みたいになっちゃいます。
戦後特急つばめを牽引したことで有名なC62なんか49両ですからその差歴然です。

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