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将軍家の影武者は、実在しました?お願い致します

練馬さん

2017/7/2306:16:50

将軍家の影武者は、実在しました?お願い致します

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ベストアンサーに選ばれた回答

emt********さん

2017/7/2922:16:54

徳川家康には影武者が居たのではないかと言われています。堺の南宗寺には家康の墓がありその墓に秀忠と家光が拝みに来たという史料がある(らしい)のです。家康に影武者がいたという立場からの私の妄想を聞いてください。
南宗寺の庭には古田織部が非常に深い関係を持っていました。もしも真田幸村の突撃で家康が死んでいたら大坂に加え日本の各地でも反乱が起きた可能性がありました。徳川氏としては絶対にその死を隠す必要があったはずです。ところが家康は非常に高齢だったためにその影武者になれる人物は非常に限られていました。しかもその影武者は家康のことを十分に知っていなくではなりませんでした。もしも瀕死の家康が南宗寺に運ばれたとすると、影武者の候補者として古田織部が浮かんだ可能性があります。これを暴論と考える方があるかも知れませんが、織部は秀忠の茶の先生だったのです。それをはっきりしない理由で切腹させることは考えられません。秀忠から影武者になるように頼まれたと考える方がある意味合理的なのです。私がこの説を主張するには理由があります。もしも家康が生きていたら秀頼の男の子は絶対に殺させなかったと考えるからです。家康にはそれぐらいの度量があったと、それだからこそ天下が取れたと信じるからです。

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りえさん

2017/7/2920:38:01

影武者的存在では無いかも知れませんが。
江戸幕府の下級幕臣である御徒(御抱席70俵5人扶持)の役羽織は特別上等の無紋黒縮緬で、3年に1度ずつ支給され、これと同じ羽織を将軍が鷹御成(将軍が鷹を用いて行う狩猟の行事)の時などに着用していました。これは狩猟場で不慮の事があって将軍が狙われないように、同じ羽織を着ている御徒の中に紛れ込んで難を避けるためであったと言われ、そして戦などの非常時に備えて、当時は輸入品で高級とされた猩々緋羅紗を使用した陣羽織の背になめし革に金箔を置いた軍配団扇の紋を付けたものと具足を御徒に貸与することになっていたのは、将軍の陣羽織に共通させて影武者的役をさせるためでした。江戸時代は泰平の世の中で、これらを着用することはまずありませんでしたが、御徒の立場を再認識させるために年に一度、その貸与すべき猩々緋羅紗の陣羽織を拝見させることが行われました。

2017/7/2313:58:06

確認できるようでは影武者とは言えません


居たとしても記録にはなしでしょう

2017/7/2313:54:53

自分が幕府の重職なら作りますね。

ということは実在した可能性が高いです。

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cop********さん

2017/7/2306:27:06

諸説あるんですが・・・
徳川家康に影武者がいたとか

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