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唐の荘園について

brq********さん

2017/8/619:00:04

唐の荘園について

「唐の中期頃から、土地公有の原則である均田制が崩壊する中で、貴族の大土地所有が広がってきた。それを荘園と言い、貴族や地方の有力者は、没落した均田農民の土地を併せ、さらに彼らを小作人として耕作させるようになる。そのような土地公有の原則の崩壊にともない、税制も租庸調制から両税法に転換する(780年)。また、小作人となった農民は、宋代以降にはひろく佃戸と言うようになる。」
と言われていますが
土地公有の原則である均田制が崩壊すると貴族の大土地所有が広がるのはなぜですか?

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Graciasさん

2017/8/708:17:18

唐代の均田制の適用範囲は都長安周囲のみで、現実は門閥貴族による私有地が主力でしたので、事実上土地公有ではありませんでした。しかし、均田制の建前は土地公有になっていました。
唐末になると、土地公有の建前の均田制自体が長安周辺で事実上崩壊していた為、門閥貴族の私的所有を法的に認める形で、課税対象を人頭税(租庸調)から土地税にシフトしました。日本の班田収授制に同じく国家が土地の私的所有を認めた訳ですので、門閥貴族の土地が広がりました。もっとも、門閥貴族はこの後の黄巣の乱以降姿を消し始め、五代十国時代には完全に消滅し、地主が登場して地主制を拡大し中国の支配者層となって行きましたが。

質問した人からのコメント

2017/8/7 20:19:44

ありがとうございます!

ベストアンサー以外の回答

1〜1件/1件中

2017/8/619:27:52

公地公民・均田制 って、
土地は国のモノであり、農民に分け与える。

だから、公地公民・均田制の崩壊=土地は国のモノでなくなる。=土地は貴族のモノ。

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