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昭和の歌謡曲賞レースへの疑問。1970年代〜1980年代半ばまでは歌謡曲賞レース黄金...

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ID非公開さん

2017/8/1323:57:44

昭和の歌謡曲賞レースへの疑問。1970年代〜1980年代半ばまでは歌謡曲賞レース黄金時代で権威もあった時代でしたが、この時代の受賞者を見てみると疑問を感じる選考がちらほら見られ、これが賞レースへの不信感、若手

人気歌手の辞退続出、権威失墜と繋がったと思います。
代表的なレコード大賞、歌謡大賞について並立していた1970(昭和45)年〜1987(昭和62)年まで特に気になる受賞者を挙げていくと

1970年
レコード大賞 大賞:菅原洋一(藤圭子)
1973年
レコード大賞 大賞:五木ひろし(沢田研二) 最優秀新人賞:桜田淳子(アグネスチャン)、歌謡大賞 新人賞:桜田淳子(浅田美代子)
1974年
レコード大賞・歌謡大賞 大賞:森進一(中条きよし)、レコード大賞 最優秀新人賞:麻生よう子(西川峰子)
1975年
レコード大賞 最優秀新人賞:細川たかし(岩崎宏美)
1980年
レコード大賞 大賞:八代亜紀(もんた&ブラザーズ)
1982年
レコード大賞 大賞:細川たかし(岩崎宏美)、最優秀新人賞:シブがき隊(中森明菜)
1983年
歌謡大賞 大賞:田原俊彦(細川たかしor松田聖子)
1984年
レコード大賞 大賞:五木ひろし(安全地帯)、最優秀新人賞:岡田有希子(吉川晃司)
1985年
歌謡大賞 大賞:近藤真彦(中森明菜orチェッカーズ)
1987年
レコード大賞・歌謡大賞 大賞:近藤真彦(瀬川瑛子or中森明菜)

レコード大賞の歌唱賞・金賞、歌謡大賞の放送音楽賞、放送音楽新人賞候補まで書き出すとキリがないのでここでは省きます。ちなみにレコード大賞の最優秀歌唱賞に関してはほぼ選考基準が不明。
これらは事務所の力関係、テレビ局との関係、などからだと考えられますがどう思われますか?()には参考までに自分でより相応しいと感じた方を書きました。ご意見ください。

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ドラマさん

編集あり2017/8/1817:34:06

1985年、1986年にレコード大賞を受賞した中森明菜さんは、いずれの年もアーティスト別年間総合売上第1位、大賞受賞曲(「ミ・アモーレ」、「DESIRE」)はいずれも年間シングル売上第2位でした。

なので、四の五の言わずに実力と実績で他を圧倒し、審査員に有無を言わさず大賞を勝ち取れば良いと言いたいところですが、同じくアーティスト別年間総合売上第1位で、「TANGO NOIR」が年間シングル売上第2位を獲得した1987年は、レコード大賞を受賞できませんでした。

当時は3年連続受賞のハードルが高かった?でも、「命くれない」で年間シングル売上第1位を獲得した瀬川瑛子さんも大賞を受賞できなかったので、実力やその年の実績以外にも、何か選考要素があったのでしょうね。

明菜さんは、デビューした年(1982年)も、同期の中で一番売れていた(歌も上手かった)にも関わらず、レコード大賞の新人賞5名の中にすら入れてもらえませんでしたからね。この一件で、大手芸能事務所の審査員に対するロビー活動が露呈し(各審査員が新人賞を誰に投票したかがリークされたから)、興醒めでした。

  • ドラマさん

    2017/8/1817:54:14

    ちなみに、当時子供だったので賞の妥当性については言及できませんが、西川峰子さんと麻生ようこさんなら、西川峰子さんの方が印象に残っています。

    というか、麻生さん、全く覚えていません。

    歌う姿も楽曲そのものも、西川峰子さんなら、鮮明に覚えています。

    いやーよ、いやいや、子供じゃないわー♪

    でも、今、動画で聴き直すと、覚えていない麻生さんの曲の方が、楽曲としては良いと思います。

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sh1********さん

2017/8/1801:36:32

70年代はダブり(80年以降大賞も紅白さえ、演歌中心に同じ歌を数年毎に繰り返す)を避け、新人賞以外はキャリア優先の持ち回りの順番、いわゆる当時の社会常識「年功序列」だとリアルで子どもながら感じました
金まみれは80年以降だと思う。より不自然になったもの

70年代までは年功序列、年長優位、純国産(アグネスvs淳子・美代子、美代ちゃんはNHK審査に通らす先行き不安・将来性ゼロだったけど)、ダブらないという……ちょっと数年見たら子どもでもわかる定義を露呈していた

実際、歌手の給料も年功序列だった=出来高は反映しない
だから、業界の見かけの派手さより選考に対して賄賂の金は思うほどなかったでしょう

人気歌手でも既製服着て本番に望んだり、古着着で出たり、レコードアルバムは本職でも親しい友人と貸し借り、あのジャニーズでも合宿所がなく、その代わりスタッフや先輩の家に下宿、曲が売れてやっとトイレ・バス付の部屋に移れたということをTVで公言したり……

77年まで大手のホリプロでも給与は和田アキ子>森昌子>山口百恵だった。
もちろん稼ぎ頭はドラマ・映画で活躍し前年♪横須賀ストーリーを出している山口百恵さんだった
待遇に納得しない彼女は自分で交渉して出来高払い分も取り入れさせたけど……

74年の新人賞は麻生よう子さんで(西川峰子さん)より妥当だと思います。
結果的に一発屋かもしれなかったけれども、曲の伝播性・良さも含めて聴衆の支持は麻生さん(の曲)だったし2年目以降の活躍も両者右肩下がり
現に今、当時の新人峰子さんの曲より♪逃避行、は耳にも口(カラオケ)にも残っている。リアル世代に今も印象に残るのは♪逃避行

met********さん

2017/8/1623:45:02

私も近藤真彦はじめジャニーズの受賞は有り得んと思っています。()同感です。完全に事務所の力関係でしょうね。田原俊彦が歌謡大賞という時点で賞の意味がなくなった。

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2017/8/1410:43:04

昔から、談合疑惑や買収疑惑はずっと囁かれておりましたし、そもそも昭和の頃ってのはレコードが売れていた時代で、このような賞を取ることが巨額の利益をもたらす以上、そこに利害関係って間違いなく存在していたと思われます。

金銭授受を報じられた業界関係者が怪死したり、数年前には超大手の音楽事務所と芸能プロ絡みの金銭授受が文春に報道されたりしましたが、【賞】とは言っても純粋な争いではなく、そもそもがプロモーションを目的としてのものなので、オトナの事情だらけなんでしょうね。

1980年の田原俊彦の最優秀新人賞は、最優秀の定義はトモカクとしても、まぁ売れたのは事実だと思うので、翌年の近藤真彦も含めて理解できるとして、83年のGOOD-BYEはさすがに無いだろうと思えますし、
同じくジャニーズ疑惑で言えば、2010年の最優秀歌唱賞の近藤真彦、
確かデビュー30周年で盛り上げていた年で、まぁ昔にくらべりゃ多少は上手くなった歌ですが、長期間音楽活動以外に傾倒していた人が、デビュー30周年が近づいて年に1枚くらいの新曲を2~3年、それで歌唱の最高峰の賞というのも笑わせてくれますよね。


( )の中の、相応しいと思われる歌手、かなり同感でした!

spr********さん

2017/8/1404:25:30

1987年のレコ大はさすがにコケました。
明菜か瀬川が妥当だったと思います。
誰もが首を傾げたと思います。

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