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宗教にはまる人は、心の弱い人ですか?

philosophy_love_572さん

2017/8/1802:36:28

宗教にはまる人は、心の弱い人ですか?

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回答数:
35

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ベストアンサーに選ばれた回答

2017/8/2009:05:50

創価学会やオウムのようなカルトに逃げる人は心の弱い人や、貧困や無学、恋愛、人間関係に勝てずに逃げ込んだ弱い人だろう。まあそれぞれの事情はあるんだろうが・・

しかし人は古代から何らかの象徴を信じて生きてきた。日本中に荒神と呼ばれる大木や巨岩や海、森等々・・・を崇め奉る。そういった荒縄や御幣を飾った自然の神々が全国津々浦々に存在する

それは人に心があるからだ。そしてその心が人の弱さを作り出す

では、今後科学が発達していけば、宗教はすたれるのか?いや今後宗教はますます盛んになっていくだろう

資本主義は人々の心をむしばんでいく。これからはAIが世の中を動かし労働力となり、人々は管理培養されるようになるかもしれない

そういった中さらな人々の心は蝕まれていくだろう

そして人々は一層宗教にすがるようになる

質問した人からのコメント

2017/8/23 05:30:13

ありがとうございます。

ベストアンサー以外の回答

1〜5件/34件中

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2017/8/2107:16:00

サイコパスを一番心の強い人と定義するなら、そうですねww。

サイコパスは、不安も後悔も恐怖も持たず、従って宗教も(普通は)必要とせず、他者への共感もなく、他者を操作して自分の利益のみを追求します。

宗教を信じる人の対極がサイコパスであることは確かですねえ。

syuugyougakuさん

2017/8/2104:52:07

信仰とは創造主(☉)に従うことであり、創造主は腹の蝮(☉)でもありますから、神と戦うことです。神の親心を知って不動心を得て、色欲に負けず、自己反省、悪阻に生きること、イエスの十字架刑も己との戦い、世間の誘惑の嵐の中でで天国に迎えられる道(霊智=神と人の契約)を教えられているのです。

宗教を把握することによって、選択無碍、自由無碍の不動明王を獲得するのです。
先日、不動明王の腹の中に小さな不動明王が安置されているものが発見されました。自分の胎内に真の自分(神の分身分霊)が居て、これを育てて天国に出産する、人間はイエス(インマヌエル=南無妙法蓮華経)を出産する処女マリヤ(阿部に真理矢、運する)であるのです。

創造主が人間を作られたのは、自分の子を一人前の神に育て上げて親元(天国=故郷)に凱旋(帰還)させる楽しみのためです。創造主の育ての智恵に人間が従えば人間は天国に迎えられると約束されているのです。これを、幸せになる道といい、同行二人、遍照(変を作り直神と人の阿運アメン、あみんあもんのキャッチボール、二人三脚のシ(視仕肢 志思糸歯詞詩姿指支)合わせです=扁×(漢字を読む)金剛の路を生きているのです。

全文
https://blogs.yahoo.co.jp/syuushigaku/MYBLOG/yblog.html

人間は天国に迎えられるという希望があり、神と不二夫婦、親子の二人で成長の旅をしている、孤独な存在ではありません。神と共に人生を歩んでいることに目覚めないことを盲目といい、罪といいます。神の丰(すがた)を知らない(非=不悲否)ので、自分の姿(男に成る目的=真運=信仰による神親進交の侵攻=命を燃やす)が解らない。

神の赤ん坊が神に育つには666(腹の蝮=凹)→999(穴に矢、凸の究明=竜)の真の努力が必要です。鬼にものをる云わせれば魂は真珠(パール=羽在る)になる=精神の刀を振るって肉体本能を治めれば「辺、辻、達」の帆掛け船、ノアの方舟と成って彼岸(乾いた地=精神アダム=侍の江戸、あ阿追いの運=葵、イエ矢ス=スぺード、主PAY度)に渡ることができる。

自分の十字架を運ぶ者が私イエスに従って天国に迎えられる者である。

十字架上のイエスは人々の差し出す酸い葡萄酒(世間の苦い苦労=浦缶→ハリケーン)を受けたのでパラダイス(羽羅台統→主の国)に迎えられたのである。

空海の遺言;今ははや、後世の勤めせざりけり、あうんの二字のあるに任せて

「有辻より無辻に入る一休み。雨降らば降れ、風吹かば吹け」(一休宗純)、紆余曲折(雨、嵐)の人生が、天国への真っ直ぐな路であることを知って,性根を据えた。

クリスマス=苦里(現状=プレゼント=酸多に苦労す)を済ますことが天の星として迎えられるプレゼントである。

神は人の前(プレ)につまずきの石(妻の月の意思=陰光=主に豚)を置かれる(ゼント)。

人は処女懐胎で妊婦マリヤである=自分の肉体の中に神の分身として神に成長する種(勾玉=虫、蝮=666=エバ、女、凹=米、小芽、小目、小女=穢場、鬼)の真の自分が宿っている。、

来年に人類(イスラエル=椅子裸に得る物品→意主羅に得る魂)に与えられた70年間(1948年~2018年)の反省(悪阻)期間が終わります。魂の真珠の湾曲をどれだけ攻撃(修正)できたかが問われる。天国行か、地獄行かに分けられる最後の審判が下されるのです。これは1万2千年毎に行われていて、ミロク(369)、メシア(盲人の開眼)の救いの降臨の時で、56億7千万年後=56→七で椅子仮汚手のユダの商人根性で殻田(背分)が開花した後、開智(反省、悪阻)して実魂作り作りに入らなければならない。

=この子の七つのお祝いに汚悪札を納めて天国への帰りの果得理は怖い、神選りは強い、天神様の細道(天国への路は狭い)に入ることです。

往きは宵酔い(ラッキーセブン)帰りは恐い、怖いながらもトオリャンセ(十の二回=廾、七→廿=世の完成)通りゃん施

最後の審判の時の火の洗礼は、人間の腹の虫、腹黒を日に干して、潔白に戻さなければ天国の住人になれないからです。最後の審判で今後3千年間の幽界生活が決ってしまいます。ここ1,2年の頑張りが重大であり、チャンスでもあるということです。死人も一緒に裁かれますが、今自己浄化、革命ができる肉体があるものはがんばらなければ勿体無いことであります。

漢字、地理、歴史、高麗犬、一切神の声、最後の学問「秀思學」のすすめ

神との阿運の闘い(ヤコブ=邪に鼓武)に生きる、不動心=剣で善悪を選択し、歯を食いしばる、左手の鎖で腹の虫(虎=七=椅子仮汚手のユダ)を縛る

信仰とは創造主(☉)に従うことであり、創造主は腹の蝮(☉)でもありますから、神と戦うことです。神の親心を知って不動...

2017/8/2100:13:56

礼拝だとそうゆうのって、自分の支えになったり、死後の世界で神に救ってもらうためにだとか、支えになってるものだと思う。だから、自分の弱い部分を支えてもらってるって感じじゃないですかね。後は、恐怖に対して神がいるからとか、神頼みで恐怖を和らげるってのもあるから、確かに心が疲弊してたり弱い人って思うかもしれないけれど、そんなこと言ったら何億といる仏教徒全員心弱いってことになるしね。

こころがよわくないひとなんているのかってところから始まりますよね。

多分質問してるのは、何とか真理教とか、そうゆう少しあれ?って思う宗教にハマる人のことだと思うので、そちらは、確かに心が疲弊してたりして判断力が乏しかったりするのも原因ではないかなとは思うので、そうなんじゃないんですかねー。

abcd52_0711さん

2017/8/2100:04:15

そうでない人もいます。
宗教があるのは科学が完全ではないことの象徴です。ですから科学の力では解決できない問題などで宗教は必要とされています。

2017/8/2019:53:08

そんなこともないと思います
科学だって突き詰めちゃえば宗教みたいなものですし
特に歴史ある宗教とか、ちゃんと見てみると今当たり前の概念の発祥だったりとかよくある話ですし。普通に学ぶと面白いしハマります(知恵の源みたいな扱いです)
ただ宗教の知的権威に降ったりして無条件に信じる人は心弱いと思います

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