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なぜ、1792年にラクスマンが来航してすぐに異国船打払令をださなかったんですか? ...

kur********さん

2017/8/2916:09:52

なぜ、1792年にラクスマンが来航してすぐに異国船打払令をださなかったんですか?
できるだけ詳しくお願いします。

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ベストアンサーに選ばれた回答

zez********さん

2017/8/2916:22:00

ラクスマンの来航時は、この件を含む当時の外国船が基本的に日本の国情を理解して強引な武力恫喝や裏での商取引を企もうとしなかったことが「異国船打払令」が出なかった理由です。日本側の意向に応じて長崎に回航しそこで交渉をするというのであれば、打ち払う必要だって無いですから。

しかし、19世紀に入って外国船の側のスタンスが大きく変わります。1808年に長崎で発生した「フェートン号事件」、1824年に起きた「大津浜事件」「宝島事件」等、日本の国法を無視した乱暴狼藉(幕府側の理屈からすれば、そうなります)が相次いだため、「やっぱり南蛮人は蛮人だ」ということになった訳です。これらの件の多くに絡んだイギリスが「英蛮」として特に警戒され、「敵を知れば…」の諺のとおりに英語の研究も始まっています。単に何の理由もなくやみくもに打ち払っただけではないんですよ、当時の幕府も。

質問した人からのコメント

2017/8/29 16:26:18

分かりやすい回答ありがとうございました。

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edo********さん

2017/8/2916:18:05

ラクスマンはロシアの正式な遣日使節で漂流民大黒屋光太夫らを連れて来たからでしょう。当時の日本には正式な国交や通商の申し込みに応ずる考えもあったと思います。

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