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両替商と言うのは、小判と銀貨、銅貨(銭)の交換手数料で儲けていたのですか。 ...

rit********さん

2017/8/2923:20:12

両替商と言うのは、小判と銀貨、銅貨(銭)の交換手数料で儲けていたのですか。
小判と銀の交換が本両替でメインの商いで、小判と銭との両替は脇両替としておこなっていたのでしょうか。
その

際の手数料を抜く商売で儲けていたのですか?
他に、貸し付けもやっていたのですか。
高利貸しですよね。
1日で1%を取る恐ろしい貸付とか。

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ベストアンサーに選ばれた回答

bro********さん

2017/8/3013:31:40

他にも重要な業務として、為替手形がありました。
銀遣いの西国など、何貫目もの重い銀を持って街道を行き来できません。
両替商に持ち込んで為替手形を作ってもらい、これを持って移動しました。
当時全国に通用する紙幣などなく、藩札も他領に出たら紙切れ同然ですから。
こうした商売にも当然に手数料が発生しました。

  • 質問者

    rit********さん

    2017/8/3022:51:15

    為替。大阪で振出し手形を江戸で普通に換金ができたのですか。
    鎌倉時代に為替の仕組みはあったようですが、江戸時代はそれが普通にできたのですか。
    あとは、両替商は博打を張っていたのでしょうか。
    小判が銀何匁と交換できるかの相場が常に立っていたのですね。
    一両小判につき銀65匁とか、64匁とか。そういう感じで相場が立っていたので、それに張っていたのでしょうか。

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non********さん

2017/8/3012:19:19

東(江戸)の金使い、西(大坂)の銀使いと言われるよう習慣が異なりました。
江戸幕府の初期通貨は1両小判金、1分判金の定額貨と、丁銀、豆板銀の秤量貨と、1文銅銭しかありませんして。
庶民が身近に使う、1文銭、豆板銀と他の貨幣は倍率がかけはなれ、使いにくいので両替商が出来ました。商人が副業としたのです。手数料は0.2~0.5%、つまり500文~200文で1文です。それで小口両替商は貸金もしました。
本両替商と呼ばれた大手は、幕府や諸藩の財務援助も引き受けました。年貢米を米価を見ながら換金して蔵に納める、その逆とか、大金が動くので利益も大きい。
大名貸をはじめ金貸しをするのもいました。
利息は幕府の定めがあり、時代により変動しますが、年12~18%です。
当然ですが守られず、高利貸では「つきいち」年120%が普通(よいほうかな)。

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