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江沢民が後々まで強大な影響力を持ち続ける政治家になり得た理由は、何ですか?

huj********さん

2017/9/1723:56:19

江沢民が後々まで強大な影響力を持ち続ける政治家になり得た理由は、何ですか?

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idi********さん

2017/9/1823:30:02

やはり八大元老の中でも最大の実力者鄧小平に後継者として認められたことが江が長く権威を維持できた端緒ではないでしょうか。

総書記や国家主席、軍事委員会主席に就任した時期は全くと言っていいほど権力基盤が中央にありませんでしたが、いかに敵対者や自分に従わない者をあらゆる手を使って追い落としたかなど彼の伝記などを読むとよく分かります。

そして政治局常務委員を凌ぐ権力を持っていた八大元老もほとんど90年代後半には
皆死没しています。この後の権力の空白において鄧小平より抜擢されたという威光と
権力闘争好き、かつ自らの派閥構築努力と相まって元老死後の空白期にしばらく影響力を行使することができたと考えるのが妥当と思います。

あと、胡錦涛など後継が江ほどの権力への執着を見せずに過ごしたのも江のしばしの影響力維持に役立ったのではと思います。

質問した人からのコメント

2017/9/24 10:09:54

大変詳しく教えていただき、お二方とも、ありがとうございました!

ベストアンサー以外の回答

1〜1件/1件中

tak********さん

2017/9/1812:04:45

「革命烈士の子弟」
叔父で養父の江世侯(上青)は中国共産党の幹部であったが、嫡男を得ないまま1939年に日中戦争中に地元匪賊に殺害された。文化大革命では実権派として攻撃されたものの、「革命烈士の子弟」とされたため、被害は少なかった。


六四天安門事件後、江沢民が総書記に就任した理由のひとつに中央におけるしがらみのなかったから。

上海幇
上海幇は思想的な集団ではなく、1990年代以降の改革開放で恩恵を受けた既得権益層に過ぎず、便宜上、上海幇とされていた者も多く、江引退後は構成員の多くが胡錦濤派に「寝返り」、徐々に縮小、2006年9月に陳良宇が失脚したことで命運が決まった。

走資派
資本主義の復活を目指す実権派として、打倒対象とされた劉少奇・鄧小平らをさした言葉。

鄧小平
鄧小平は、武力弾圧に反対した趙紫陽の解任を決定。武力弾圧に理解を示し、上海における学生デモの処理を評価された江沢民(当時上海市党委書記)を党総書記へ抜擢し、同年11月には党中央軍事委員会主席の職も江に譲った。

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