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聖武天皇はなぜ井上内親王の夫に、当時マイナーだった天智系でなおかつ庶子の白壁...

電球さん

2017/10/513:31:55

聖武天皇はなぜ井上内親王の夫に、当時マイナーだった天智系でなおかつ庶子の白壁王を選んだのですか?白壁王が若く、井上内親王と年齢が釣り合いそうだったからですか?

壬申の乱があったことや、内親王の子に皇位が渡る可能性を考えたら、本来は天武系の王から選ぶ方が妥当だったのでは?不破内親王の夫が新田部親王の子だったので、他の親王の子孫から選ぶなら、長皇子や舎人親王の子などもいましたよね?
同じ志貴皇子の子なら、まだ嫡子の春日王の方が妥当だったのでは?春日王は、井上内親王が帰京したときはまだ生きていて、翌年くらいに亡くなっていたはずです。帰京直後に結婚を考えていたなら、春日王は候補にならなかったのですか?春日王では内親王より年上すぎたのでしょうか?

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rei********さん

2017/10/621:55:30

理由は定かではありませんが、愛妾のひとりが、県犬養氏です。

なんらかの繋がりがあったものと思われます。

  • rei********さん

    2017/10/621:57:59

    pinponなんとかさんは、返信拒否にされたほうがいいかもしれませんね。いい加減な回答の常連さんです。

    スマホの右上の設定ボタンで可能です。

    WEBサイトからも可能です。

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pin********さん

2017/10/520:06:13

リクエスト質問の横入りご容赦下さい!
井上内親王が、安積皇子の死去に伴い、伊勢斎王から退下して来たのは、744年で28歳の時です。
この時の、「春日王」の年齢ですが、父の志貴皇子が、「春日宮天皇」の称号を賜っていての春日王ですから、白壁王(709年生まれ)より、何歳か上の長兄で、例えば700年頃の誕生であれば、井上内親王の退下時には45歳前後で、28歳の井上内親王にはちょっと可哀想かなという年齢です。この時点で既に春日王は病の床であったかもしれません。
「聖武」としては、基皇太子の早死、安積皇子の病死(仲麻呂の殺害?)と男子の後継者に恵まれておらず、阿部内親王、不破内親王には、「天武系」の男子をと考え、井上内親王には、もしも天智系への皇統変更があったとしても、「保険」として「聖武の血統」を維持するために「白壁王」を選択したのではないかと考えますがどないでしょう!
結果的に、白壁王との間に他戸皇子が誕生し皇太子に就任し思惑通りなのですが、「廃太子」で、「酒人内親王」は、またまた伊勢斎王で「質」状態です。
それぐらい奈良朝政治の末期は、「天智ー藤原系」が優位で、最終的には、
「聖武」の願いもかなわず「孝謙称徳」の代で「天武系の皇統」は断絶です。

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