ここから本文です

なぜ東京の落語家の中には亭号を変えてしまう人が結構いるんでしょうか?

hes********さん

2017/10/922:09:01

なぜ東京の落語家の中には亭号を変えてしまう人が結構いるんでしょうか?

上方だと亭号を変える場合は大抵、名跡を襲名するときくらいで
ごく少ない人しかいないのに。

上方で入門時から亭号が変わっているのはもう故人しかいないのではないでしょうか。

初代森乃福郎(初代笑福亭福松に入門)3代目桂文我(2代目林家染丸に入門)
2代目露の五郎兵衛(2代目林家染丸に入門)くらいしか思いつきません。

そうそう、2代目かの笑福亭福松はその前は文の家かしくでした。

閲覧数:
621
回答数:
5
お礼:
250枚

違反報告

ベストアンサーに選ばれた回答

sei********さん

2017/10/1212:54:33

とにかく「亭号や名跡がやたらと多い」ことでしょうね。

過去に存在し、いまは埋もれている名前が、掃いて捨てるほどある。
だから二つ目や真打ちに昇進した時、「お前、これを継げ」と師匠が命じることに、抵抗が少ないのです。

そして「お前も真打ちになったんだから、新しい亭号を考えろ」という概念も存在します。
そのたびに亭号が増えていくわけです。

要するに、「同じ一派であるなら亭号にはこだわらない」風潮が、昔からあるんでしょうね。

この回答は投票によってベストアンサーに選ばれました!

ベストアンサー以外の回答

1〜4件/4件中

並び替え:回答日時の
新しい順
|古い順

bas********さん

2017/10/1200:06:52

江戸の職業落語家の始祖と言われる三笑亭可楽は
「可楽十哲」と称される弟子を輩出し、名前を挙げると

初代朝寝房夢羅久
初代船遊亭扇橋
初代喜久亭寿楽
初代萬笑亭亀楽
初代三笑亭佐楽
初代東亭鬼丸
自笑亭里楽
初代宇治新口(2代目立川談志)、
初代三笑亭古楽、
初代林屋正蔵、
百眼の祖・初代三笑亭可上、
百眼の初代三笑亭可重(のちの2代目可上)、
三笑亭世楽(のちの吐月峯山彦)、
写し絵の祖・初代うつしゑ都楽、
2代目可楽、
つるや萬助(のちの2代目立川銀馬)、
八人芸の初代川島歌遊、
よたん坊ゆ又、
都々逸の初代瀧亭鯉丈
初代菅良助(のちの乾坤坊良斎)、
2代目菅良助(初代立川談志)
など門弟数十人が確認されており…
(wikiより。一部追記。)

と10人以上いるのは御愛嬌として、御覧の通り亭号はバラバラ。


またそれ以前に活躍したのは江戸落語 中興の祖と言われる烏亭焉馬。
本職は大工だったそうですが、その弟子は

朝寝房夢羅久(可楽の弟子と同一人物)
初代立川談笑
談語楼銀馬
2代目朝寝坊むらく
初代三遊亭圓生
2代目焉馬
(こちらもwikiより。一部追記。)

とこちらも亭号はバラバラ。



これを見ると江戸の落語家は、
何が何でも師匠の亭号を継がなければならないとは考えていない、
もしくは師匠の側が継ぐように仕向けていない、
独自の亭号を名乗るのが古くからの考え方であった。
福郎や五郎兵衛よりはるか以前の話。
「大事にする/しない」とは全く別の話、むしろそれが伝統。

そのように感じます。

oni********さん

編集あり2017/10/1109:27:40

東京(江戸)落語界は成立して以来、師匠の亭号を引き継がなくてはならないという考えが薄いような気がします。例えば初代三遊亭円生門下からは橘家、古今亭、金原亭などが生まれました。一人前になったら分家独立しろということのなのかもしれませんね。

また昭和の東京落語界の重鎮は生涯に複数の一門を渡り歩く等の経歴をもっていることが多い。彼らがこのような経験から縁を得た名前を弟子が名乗るケースが多くあります。例えば五代目今輔の弟子が「桂米丸」や「三遊亭円右」を、八代目文楽の弟子筋が「柳亭左楽」を名乗りました。また、よく知られているように八代目正蔵は面倒な事情を抱えていました。これらが現在の状況をややこしくした直接の原因といえるかもしれません。

一方、上方落語は一度衰退し、「四天王」と呼ばれる師匠方を中心に再興されました。その弟子筋には師匠に対して強い敬意が感じられます。そのため例え由緒ある名跡があっても「一門の名」を捨てたくないのかもしれません。以上あくまで私見です。

fur********さん

2017/10/1005:33:55

五街道雲助一門は、師匠の方針で真打ちになれば独立させるということ。また、林家彦六の弟子にも違う亭号が多いのは、彦六は一代限りでという師匠の意向ではないかと、弟子が言ってたのを聞いたことがあります。

プロフィール画像

カテゴリマスター

kns********さん

2017/10/923:31:02

まず、質問者の方のお間違いを訂正させていただきます。

二代目露の五郎兵衛、三代目桂文我は二代目桂春団治に入門
初代森乃福郎は三代目笑福亭福松(前名・文の家かしく)に入門

上方で近年、改名、襲名時に亭号を変えた人として他には。
露の団丸が四代目立花家千橘を襲名。
林家染和(三代目林家染丸門下)が師匠死去に伴い二代目笑福亭松之助門下となって明石家つる松その後破門され扇家円三(この時はいわゆる師匠なし)から橘ノ円都門下になって橘家円三。
林家染奴(三代目林家染丸門下)が三代目桂米朝に拾ってもらって二代目桂小米朝そして絶えていた月亭の亭号を復活させるため初代月亭可朝を名乗る。
これだけは居ました。

さて、江戸上方問わず、名前と亭号がセットになってる場合があります。
五街道雲助、桃月庵白酒、隅田川馬石などがそれにあたり、真打になる時にそういう名跡を襲名したら師匠と亭号が変わるんですね。
また、自分の師匠の系統に適当な名前が無かった時、他所の絶えてた名跡を襲名する場合がありその時は亭号が変わります。
柳家小さんの弟子が立川談志という名跡を襲名したから亭号が変わったんです。柳家談志にはならないんです。

つまり、勝手に亭号を変えてるわけではありません。その系統の名跡を襲名したからなんです。

なぜ東京は名前を変える人が多いかは真打制度があるからです。誰でも東京の噺家は遅かれ早かれ真打に昇進します。この時に襲名ということが多いので、亭号が変わる人が多いように思うんですね。
上方の場合、真打制度が無いので、名前を変える機会が襲名披露ということしかないから少ないんですね。

あわせて知りたい

みんなで作る知恵袋 悩みや疑問、なんでも気軽にきいちゃおう!

Q&Aをキーワードで検索:

Yahoo! JAPANは、回答に記載された内容の信ぴょう性、正確性を保証しておりません。
お客様自身の責任と判断で、ご利用ください。
本文はここまでです このページの先頭へ

「追加する」ボタンを押してください。

閉じる

※知恵コレクションに追加された質問は選択されたID/ニックネームのMy知恵袋で確認できます。

不適切な投稿でないことを報告しました。

閉じる