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上杉謙信はなぜ、真っ先に北陸方面を平定しなかったのか?

ise********さん

2017/11/312:59:15

上杉謙信はなぜ、真っ先に北陸方面を平定しなかったのか?

上杉謙信が関東に出兵する場合、必ず北陸方面で上杉方の勢力と戦う場面が多いと思います。二正面作戦が得策ではないことは上杉謙信自身よく理解していたと思うのですが、わざわざ関東まで出兵する理由がわかりません。



国内統一目的、関東管領、略奪のために進出したなど色々いわれています。ですが、もし本当に関東出兵が必要ならまず背後の北陸(越中、能登、加賀)を抑えてからでも十分ではないでしょうか?米の安定的な収入、日本海側の貿易利益など実利もあり畠山、神保、椎名や一向一揆などの障害はありますが、関東での軍事展開を思えば、むしろ本腰で北陸方面を平定しておけば、背後を心配せず関東に兵力が動員できると思うのです。

上杉謙信は書状などでも領国経営も行う実務家の一面があるハズで、二正面作戦のまずさを知っているはずだと思うのです。

彼がどういう戦略目的を立てていたのでしょうか?

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pop********さん

2017/11/417:45:31

謙信の本拠である越後は豊かな国であり領土拡張の必要性がありませんでした。
よって上杉謙信にとって関東出兵も北陸出兵も本国である越後を防衛するための戦いにすぎません。
当時関東では北条家の勢力が越後と隣接する上野や下野にも伸びていました。
これらの国が北条家の手に落ちた場合、本国である越後が直接攻撃にさらされる危険性があったのです。
そこで謙信は安全保障的な理由から関東への出兵を繰り返し、隣接国の緩衝地帯化をはかったのです。
関東管領就任は関東出兵を正当化するための処置にすぎません。

北陸道への出兵も加賀越中の一向門徒の侵入を防ぐための処置であり、越中さえ緩衝地帯化すれば北陸道の平定には関心がありませんでした。
しかし織田信長の勢力が北陸道に伸長すると、謙信は加賀越中の一向門徒と和睦を結び、織田家と対峙することになります。
強大な織田家の勢力をくいとめるのに越中1国の盾だと不安が残る、そこで加賀能登越中を平定し、これら3国を緩衝地帯とし越後を防衛する方針に転換したのです。
武田信玄との川中島の戦いも同様です。
北信濃を緩衝地帯化し武田の北上を阻止することが目的なので、現地の直接統治にはこだわりません。
故に関東でも信濃でも旧主に領土を返還しています。
よく謙信は領土的野心で遠征しなかった義将だと語られますが、その実態は本国防衛のために緩衝地帯の設置に奮闘する現実主義者でした。

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tom********さん

2017/11/405:36:02

平定してたようなもんじゃないのかと。
なにしろ謙信が何回も総勢連れて信濃や関東に出撃してるのに、
背後から越後を襲ったっていう例がありません。

hk1********さん

2017/11/402:30:02

Q「上杉謙信はなぜ、真っ先に北陸方面を平定しなかったのか?」

平定する義務が先では無いと思っていたようです。

まず父「長尾為景」が「椎名家」の上司であり
「越中守護代」になっており
越中は「長尾家」から見て領土と見ています。

既に「平定」しているつもりなのです。

Q「上杉謙信が関東に出兵する場合、必ず北陸方面で
上杉方の勢力と戦う場面が多いと思います。」

上の状態(既に平定したつもり)ですが
「武田信玄」と争い出してから、その「調略」にあい
反旗されており関東出兵に限らず
南征すると「北陸」や「本庄」など「揚北衆」が
調略され反旗する・・・といったことを
繰り返したようです。

Q「二正面作戦が得策ではないことは上杉謙信自身よく
理解していたと思うのですが、
わざわざ関東まで出兵する理由がわかりません。」

元々「長尾家」は「関東管領・上杉家」の家臣であり
関東と縁が深いです。

そして謙信の時代にその「関東管領」に自身が
成りましたので関東静謐を目指し
関東に遠征していました。

Q「国内統一目的、関東管領、略奪のために進出したな
ど色々いわれています。ですが、もし本当に
関東出兵が必要ならまず背後の北陸(越中、能登、加賀)を
抑えてからでも十分ではないでしょうか?」

上記の理由(椎名家は長尾家の家臣)から
抑えてはいるつもりなのです。

ただ遠征後に毎回、椎名や本庄、北條、揚北衆などなどが
調略を受け反旗され・・・といった感じのため
関東出兵前はそこに兵を送る理由が無いのです。

Q「米の安定的な収入、日本海側の貿易利益など
実利もあり畠山、神保、椎名や一向一揆などの障害はありますが、
関東での軍事展開を思えば、むしろ本腰で
北陸方面を平定しておけば、
背後を心配せず関東に兵力が動員できると思うのです。」

父・為景の代に神保家、椎名家を服従させており
それらが反旗するまで謙信に「越中」に討ち入る
理由が無く、理由ができたら
越中に攻め込んでおります。

それまでは「北陸平定」の理由が謙信に
無かったのです。

Q「上杉謙信は書状などでも領国経営も行う
実務家の一面があるハズで、二正面作戦の
まずさを知っているはずだと思うのです。
彼がどういう戦略目的を立てていたのでしょうか? 」

父親の残した「長尾家当主(越後守護代)」として
越後・越中の「守護代」として
かつ途中で継いだ「関東管領」として
その領内の「静謐」のため活動していたようです。

「真面目な責任感のある役人=お役所仕事」なので
下々から要請を受けてから出動しており
真面目ですが動きは遅かったり
敵の後手に回っているようです。

ただ真面目で責任感があるので何かあれば
敵の征伐に乗り出してはくれるようです。

oba********さん

2017/11/318:30:23

越後と越中の国境に親不知という難所があったからでしょう。

峠道は夏場だったらいつでも通れますが、親不知は
狭い波打ち際なので夏場でも風の強い日は大軍が通れない場所ですから。

oia********さん

2017/11/315:14:06

謙信には、先に越中・能登・加賀を押さえてから関東に向かう時間的な余裕がなかったと言えます。

謙信(長尾景虎)は天文17年12月に長尾家の家督を継ぎます。しかし、それで越後がまとまった訳ではありません。越後国内での争いは続いていました。

曲がりなりにも越後がまとまったと言えるのは、謙信の姉が長尾政景に嫁ぐことで、謙信と政景との抗争が治まり和睦が整った、天文20年7月頃からでしょう。
この間、天文18年7月には早くも関東管領上杉憲政から援軍要請が届いています。
そして、天文21年5月には、上杉憲政は北条によって根拠地から放逐されてしまい、越後に逃れてきました。

つまり、謙信が越後国内の抗争に一応の決着をつけて1年を待たない内に、北条氏は上野にまでその勢力圏を拡大し、越後に迫っていた訳です。
そして、上杉憲政が越後に逃げ込んできた以上、謙信としては早急に北条氏への対応を決断しなければなりませんでした。
もちろん、とりあえず憲政をかくまうが北条とは戦わず、先に北陸方面へ勢力を拡大し、関東へはそれから攻め込むなどという都合のいいことを、北条が許すはずもありません。憲政をかくまうなら北条とは戦わざるを得なかったでしょう。

謙信としては、この時上杉憲政を見捨てて北条氏と結び、越中方面への勢力拡大を図るという選択肢もあったと思われます。長尾家の勢力拡大だけを考えるならば、それが正解だったと言えるかもしれません。
しかし、室町幕府の秩序を重視する立場を取っていた謙信は、そのような決断はしませんでした。
あるいは、急速に勢力を拡大する北条氏を危険視していた可能性もあります。

いずれにしても、謙信は上杉憲政を助けて北条と敵対する道を選び、5月の内には最初の関東へ出兵をしています。
このような道を選んだ以上、本格的に越中方面へ軍を進める余裕は最早ありません。そんなことをすれば北条軍が関東から越後に攻め込んできたことでしょう。

もし仮に謙信が越後を抑えてから、北条氏と対峙するまでに3・4年程度の余裕があったならば、その間に越中方面に勢力を拡大し、関東に関わるのはそれからという事も出来たかも知れません。しかし、実際には上記のように、越後をまとめた直後には北条氏への対応を決断しなければならない事態になっており、そのような余裕はありませんでした。

ちなみに、天文22年には武田信玄が村上義清を信濃から放逐し、越後に迫って来ました。信玄は既に北条とも連携していたので、謙信としては信玄とだけ和を結ぶ事も出来ず、結局信玄とも戦う事になり、いっそう北陸方面への勢力拡大は難しくなります。

ならばいっそ越中方面へは一切手を出さずに二正面作戦を避けるという手も考えられますが、根拠地春日山にほど近く祖父以来密接な関係を持つ越中を切り捨てることも簡単ではありませんでした。
その上、武田信玄の策略により越中で謙信に反抗する動きも起こっていたため、猶更越中を無視することは出来ませんでした。

この結果、謙信は関東・信濃・越中のどの方面からも、完全に手を退くことは出来なくなってしまった訳です。

nad********さん

2017/11/313:19:13

彼は戦略的に物事を考えるのが苦手だったと思われます。
それに関東管領にこだわり過ぎてしまったということもあるでしょう。
天下自体狙ってもいなかったと考える。
まあ北陸平定を目指したら、関東を狙う頃には北条が関東一帯を手中に治めていたと思われますからそこから関東進出というのも難しいかなと思いますがね。

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