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服部土芳『三冊子』の現代語訳を教えてください。 <本文> 詩歌連俳(*1)はと...

sin********さん

2017/11/920:58:26

服部土芳『三冊子』の現代語訳を教えてください。

<本文>
詩歌連俳(*1)はともに風雅なり。上三つのものには余すところも、その余すところまで俳は至らずというところなし。

花に鳴く鶯も、「餅に糞する縁の先」(*2)と、まだ正月もおかしきこのころを見とめ、また、水にすむ蛙も、古池に「飛び込む水の音」と言い放して(*3)、草にれたる中より蛙の入る響き(*4)に俳諧を聞きつけたり。
見るにあり、聞くにあり、作者感ずるや句となるところは、すなわち俳諧の誠(*5)なり。

<注釈>
*1「詩歌連俳」:漢詩・和歌・連歌・俳諧。
*2「餅に糞する縁の先」:芭蕉の句「鶯や餅に糞する縁の先」を指す。
*3「言い放して」:言い切って。
*4「蛙の入る響きに」:『万葉集』以来、蛙はその鳴き声が詠まれてきた。
*5「誠」:本性。本質。

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2017/11/1318:12:46

服部土芳『三冊子』
(かなり凝縮された表現になっているので、言葉を補って訳さないと直訳では意味が通らないところです。)

漢詩・和歌・連歌・俳諧はともに風雅の道である。(しかし)上三つのもの(漢詩・和歌・連歌)には足りないところも、その足りないところにまで俳諧は至らないというところがない。
(俳諧は漢詩・和歌・連歌の決まりきった美的定型にとらわれない。たとえば、)花に鳴く鶯を詠んでも、「鶯や餅に糞する縁の先」と、まだ正月の餅を縁側で干すというおかしみのあるこの時期に目をつけ、また、水にすむ蛙を詠んでも、古池に「飛び込む水の音」と言い切って、草に埋もれた古池に草むらから蛙の入る響きに俳諧のおもしろみを聞きつけたのである。
見るにつけても、聞くにつけても、作者の感ずるところ、すべて句となるところが、すなわち俳諧の真髄である。

質問した人からのコメント

2017/11/14 17:17:09

ありがとうございました^^
おっしゃる通りで文意が掴めなかったのですが、親切な回答のお陰で学習が捗ります。

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