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聖地管理問題について詳しく教えてください

namiboon47さん

2017/11/1104:31:22

聖地管理問題について詳しく教えてください

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2017/11/1106:43:51

またまたおはようございます。
「聖地管理問題」はクリミア戦争の口実に利用された聖地イェルサレム管理権をめぐるロシアとフランスとの間の問題です。
イェルサレム自体はオスマン帝国の支配下にありましたが、イェルサレムを聖地とする管理権は、オスマン帝国がフランスに対して認めたカピチュレーションに基づいて16世紀以降フランスが所持していました。しかし18〜19世紀のフランス革命及びナポレオン戦争の混乱後、1851年ロシアが聖地管理権をギリシア正教徒に与えるようオスマン帝国に認めさせました。翌1852年に皇帝に即位したナポレオン3世は自分の支持基盤であるカトリック教会へのアピール材料として聖地管理権をフランスに返還するようオスマン帝国に強く要求して認めさせました。これに反対したロシアのニコライ1世がオスマン帝国に対して聖地管理権の返還と、バルカン半島内のギリシア正教徒の(フランスからの)保護を口実に同盟締結を要求しましたが、オスマン帝国に拒否され、1853年にオスマン帝国に宣戦布告してクリミア戦争が始まりました。

またまたおはようございます。...

  • 2017/11/1106:46:16

    聖地管理権そのものは、ナポレオン3世にとっては政権維持の為、ニコライ1世にとってはバルカン半島進出の為の「道具」であり、宗教的に欲しかった訳ではなかった事になります。

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gitartokageさん

2017/11/1417:38:53

「ユダヤ教、ギリシア正教、カトリック教、イスラム教それぞれにとって聖地であるエルサレムの管理をめぐるロシアとフランスの係争問題。エルサレムは1535年フランスとトルコが対ハプスブルク帝国の同盟結成の際生まれた治外法権(キャピチュレーション)によりフランスが管理することとなった。その後1798年、ナポレオンのエジプト(当時トルコ領)遠征の際、トルコを支援したロシアが1808年に至り、トルコ領内のギリシア正教徒の保護権を認めたクチュク・カイナルジ条約(1774)を盾に、エルサレムの管理権をトルコに要求、獲得した。これに対しフランスは、ナポレオン1世の甥(おい)ルイ・ナポレオンがクーデターによって皇帝に就任した直後の1852年、国内のカトリック教徒の支持を得ようとして、トルコに対し聖地管理権の復活を要求、奪回した。これをみてロシアは1853年、トルコ領内のギリシア正教徒の保護と聖地管理権を要求してトルコに宣戦、一方、ロシアの地中海進出を警戒するイギリス、フランスが54年トルコを支援してロシアに宣戦、クリミア戦争(1853~56)となったが、パリ条約(1856)ではロシアの主張は退けられ、フランスの聖地管理権は確保された。第一次世界大戦中エルサレムはイギリスに占領され、戦後、エルサレムを含むパレスチナ地方は1916年のサイクス‐ピコ秘密協定に従いイギリスの委任統治領となり、フランスの聖地管理権は消滅した」

引用。上記らしいです。

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