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哲学(西洋哲学、インド哲学、支那哲学など)を徹底的に学ぶことで、 悟りを啓く...

哲学(西洋哲学、インド哲学、支那哲学など)を徹底的に学ぶことで、
悟りを啓くケースはあるのでしょうか??

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ベストアンサーに選ばれた回答

wousakiさん

2017/12/918:47:54

あってもおかしくないような気がします。
仏教用語に「二乗」という用語がありますが、上根性の人は、そういうことがあってもおかしくないような気がします。
二乗とは、声聞と縁覚の境涯にある人です。
1)声聞とは、聞いて学んで仏道に励む人を指します。
2)縁覚とは諸行無常の世の中を思って、仏道に励む人のことです。
ウィトゲンシュタインの伝記を読みましたが、私のような凡人には分からない何かをつかんでたような気がします。
恐らく、そうした人はまだいるのだろうと思います。

質問した人からのコメント

2017/12/13 08:57:00

回答ありがとうございます!

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imo********さん

2017/12/901:08:42

悟りは不立文字と言われます。これは脳を超えた世界に到達することを意味します。

哲学は、どんな素晴らしいものでも、脳から生まれたものです。悟りの近くまで行けるかもしれませんが、最後は脳を飛び越えなければなりません。

六祖慧能が「月をさす指は月ではない」と言ったたとえに似ています。

六祖慧能は文字を読めませんでした。ある時弟子の一人が、経典の意味を問うたのです。慧能は「私は文字を読めないので代りに読んでおくれ」というと、その弟子は「文字も読めなくて悟りが開けるのですか」と言ったときの慧能の答えなのです。

この場合、月=悟り、指=経典を意味します。どんな素晴らしい経典であろうと、あくまでも真理(悟り)に導く標識に過ぎないのだから、指を月と勘違いしてはいけませんよ、と言っているのです。

この場合の経典を、哲学に置き換えても同じことが言えるのではないかと思います。

n01********さん

2017/12/820:55:56

外から得た知識で悟ることはありません。

悟りとは自分の内側から出てくるものです。

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