ここから本文です

桓武天皇について質問です。

lil********さん

2018/1/317:02:40

桓武天皇について質問です。

班田制の励行=12年1班
とはどういうことでしょうか?こんなに期間を伸ばしたら手続きの回数は減っても地域ごとのデータが次の班田で様変わりしてかえって非効率ではないでしょうか?彼の目的がわかりません。

閲覧数:
51
回答数:
2

違反報告

ベストアンサーに選ばれた回答

cel********さん

2018/1/916:25:47

班田収受は、実際には、造籍(戸籍を作る)→校田(田の面積や品質を調査する)→班田(田を与える)というサイクルで行われました。で、造籍から班田までの期間は、8世紀前半は2年でしたが、8世紀後半に入ると3年、更には4年と延びて行きました。
この原因としては、墾田永年私財法の結果、私有地が誕生した為、田の権利関係が複雑になった為ではないか、などと考えられるわけですが、原因はともかくとして、班田収受のサイクルの維持が難しくなっていった、って事は間違いないです。
そして、班田自体のサイクルも、7世紀前半でもかならず6年毎に行われていた訳ではありませんが、801年(延暦20年)に畿内の班田について12年に一回にする太政官符が出る直前の班田は、前回の班田から8年経っていました。
つまり、6年に1回というサイクルは事実として無理になっていた、という事です。

その太政官符は、平安時代中期に編纂された法令集「類聚三代格」に載っています(↓)が、「太政官去延暦廿年六月苻偁校班多煩一紀一行者」と書いています。つまり、校田や班田の作業が大変なので一紀(十二年)に一回にする、って意味です。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991102/417


仰るようにまとめてやった方が非効率かどうかはともかく、客観的な事実として6年に1回が無理になっていたのなら、12年に1回にするというのは「無意味な対策」とは言えませんよね。

ベストアンサー以外の回答

1〜1件/1件中

mug********さん

2018/1/421:18:22

荘園の発生によって農民が班田を放棄するようになったので班田収授を12年1班にすることによって農民離れを食い止めようとしたのでしょう。

みんなで作る知恵袋 悩みや疑問、なんでも気軽にきいちゃおう!

Q&Aをキーワードで検索:

Yahoo! JAPANは、回答に記載された内容の信ぴょう性、正確性を保証しておりません。
お客様自身の責任と判断で、ご利用ください。
本文はここまでです このページの先頭へ

「追加する」ボタンを押してください。

閉じる

※知恵コレクションに追加された質問は選択されたID/ニックネームのMy知恵袋で確認できます。

不適切な投稿でないことを報告しました。

閉じる