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人間は全て死す。当たり前の事ですが、死の前では全てが虚しく感じることは皆さん...

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ID非公開さん

2018/1/1402:44:58

人間は全て死す。当たり前の事ですが、死の前では全てが虚しく感じることは皆さんあると思います。

仏教の親鸞聖人の言葉で「難思の弘誓は、難度海を度する大船、無碍の光明は、無明の闇を破する慧日なり」という言葉があります。

この大船に乗るには現代人としてどのような修行、行いをすればよいのでしょうか?
生きているうちに人間に生まれた事を、「よくぞ人間に生まれたものぞ」と生命の歓喜を得ることは可能なのでしょうか?

A級戦犯になった東条英樹は獄中で、悟りを得てこの生命の歓喜を得たとの記載をどこかで読んだ記憶があります。

普通の人間が、無明の闇を破って、大船に乗り、人生の歓喜を得ることはできるのでしょうか?

実際に体感された方の、回答が得られば望外の幸せにかんじます。

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mah********さん

2018/1/1514:06:02

「あるヨギの自叙伝」を読めば
自分自身の平凡な人生も
貴重な体験だという真実に気がつき歓喜できるでしょう。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q111655942...

電気も何も無い無人島に、
たった一つだけ持って行けるとしたら
ナイフでも、火起こし器でも、釣り道具でもない。
私なら「あるヨギの自叙伝」の本を一冊持って行く。

私がこの本を読んだのは1994年の12月でした。
あれから23年が過ぎても
初めて読んだ時の感動の余韻、至福が続いています。
あの時以来、人生を楽しめています。

★あなたにオススメyoutube動画
「前世の記憶(前世の言葉でしゃべる主婦)」
youtubeで検索すれば見つかる。

「永遠に自由」
https://www.youtube.com/watch?v=oA-RK9v4XwM&index=4&list=PLz8MjBRUD...

「4分で目覚め」
https://www.youtube.com/watch?v=H14cQg1jTcs&list=PLz8MjBRUDv5DGj-Yh...

「I Am That 私は在る ニサルガダッタ・マハラジとの対話」
朗読
tps://www.youtube.com/watch?v=1KOIVpnRztw&list=PLIl5bJE_nmepO6gd80aVhu-s0Mi3Yh69N

  • mah********さん

    2018/1/1514:21:31

    パパジ(1913~1997)の本
    「覚醒の炎 プンジャジの教え」P13より引用

    禅の師家が東京からハリドワールまで私を訪ねてきた。
    彼は自分の部屋に行くことさえせず、鞄を持ったままやってきて
    私の前に座った。誰かが私の名前を彼に告げたらしい。
    彼は丁寧な日本式のお辞儀をして座った。
    そして私に向かって言った。
    「あなたはラーマ神です。私は悪魔です。この悪魔を殺してください」
    私は彼を見つめると言った。
    「私はそのどちらも殺した」
    彼にとってはそれで充分だった。それで理解したのだ。
    ふたたびお辞儀をすると彼は言った。
    「もうこれで去ることができます。今から日本に帰ります」
    「おお、それはいけない。今着いたばかりではないですか。
    もうしばらくここにいなさい」
    「ああ、それはいけません」と彼は言った。
    「あなたはとても危険な人だ。もし私がここにとどまったら、
    あなたに惚れこんでしまうでしょう。だから私は帰るのです」
    そういうと彼は立ち去った。

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utu********さん

2018/1/1920:13:45

相思相愛で生きる相手を見つけ出すことだと思います。
虚しさなど棺桶に入るまで感じないでしょう。

you********さん

2018/1/1920:08:18

>「難思の弘誓は、難度海を度する大船、無碍の光明は、無明の闇を
破する慧日なり」(親鸞聖人:教行信証)

意訳
「弥陀の誓願は、私たちの苦悩の根元である無明の闇を破り、苦しみの
波の絶えない人生の海を、明るく楽しく渡す大船である。この船に乗る
ことこそが人生の目的だ」

聖人の全人類への一大宣言といえましょう。

>この大船に乗るには現代人としてどのような修行、行いをすれば
よいのでしょうか?

大船に乗せて頂くとは「阿弥陀仏の本願の通りに救われる」と言うこと
です。
この身に救われるには修行も要らなければ山に籠ったり、座禅をする
必要もありません。

唯、阿弥陀仏の本願を真剣に聞いて下さい。

どのような気持ちで聞けばよいのか。
お釈迦さまは
「設有大火 充満三千大千世界
要当過此 聞是経法~」と仰っています。
意訳
「設い大火有りて三千大千世界に充満せんに
要ず此処を過ぎて是の経法(阿弥陀仏の本願)を聞くべし」

親鸞聖人は
仏法を聞く姿勢を以下に教えておられます。
「たとい大千世界に満てらん火をも過ぎゆきて
仏のみ名を聞く人は永く不退にかなうなり」
意訳
「火の中を突破する覚悟で仏法(弥陀の本願)聞きなさいよ。
必ず絶対の幸福(難度海を度する大船に乗船)に救われますよ」

これが人生の目的です。

釈迦は
「人身受け難し今 已に受く。
仏法聞き難し今已に聞く
この身今生に向かって度せずんば
更にいずれの生に向かってかこの身を度せん」
意訳
生まれ難い人間に生まれ、聞き難い仏法を聞くことができた。
何がなんでも今生で救われねば、いずれの生で救われようか。
永遠のチャンスは、今しかないのだ。(釈尊)

今生でこの身を度するとは、どういうことでしょうか。
それは阿弥陀仏の本願を聞信し、平生に絶対の幸福になることだと、
釈迦も親鸞聖人も教えられています。こんなチャンスは、幾億兆年
にも無いことであるとも言われています。

聖人のおっしゃる通り、弥陀の本願を聞き開き、絶対の幸福になって
初めて、人間に生まれた本当の有り難さが分かるのです。
仏法を聞かない限り、人間に生まれた本当の喜びは分かるものでは
ありません。

人間に生まれた生命の歓喜を知るまで、本当の仏法を聞いて下さい。


参照:『なぜ生きる』『なぜ生きる2』より抜粋

誤字あればお許し下さい。

imo********さん

2018/1/1718:40:57

私も若い頃から、人生に虚無感を抱いてきました。華厳の滝で自殺した一高生藤村操の「巌頭の感」を読んで、その通りだと思いました。自殺までは考えませんでしたが、消えてしまいたいと思ったことは何度もあります。

紆余曲折はありましたが、60をすぎて、今やっとホッとしています。エックハルト・トール著「さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる」に出会ったのがきっかけです。それまで座禅の手習いのようなことを長年やっていたのですが、この本に出会って、雷のような衝撃を受けました。目からウロコがボロボロでした。

それ以来、ここに書かれたことを実践してきました。5年くらいたったある日、「自分がいない」という感覚になったのです。これはどういうことかと、いろいろ調べましたら、上座部(小乗)仏教にいう預流果(よるか)という悟りの初期的段階であることを知りました。当初は何とも宙ぶらりんな感覚でしたが、あれから3年ほどたって、今だいぶハッキリしてきました。

この本を読んでもらえればわかることですが、「悟り」とは「本当の自分」を知ることだと言えます。

あなたは「自分とは何ですか」と聞かれたら、何と答えますか。

おそらくあなたは、名前、性格、容貌、身体、学歴、職歴などをあげるかもしれません。

しかし、これらは「自分」の名前、「自分」の性格、「自分」の容貌・・・と言えるものです。「自分」の「名前」というのですから、「自分」と「名前」は別々のもののはずです。以下同様です。

では、この「自分」とは何でしょうか。どこにいるのでしょうか。

「自分」は書く、「自分」は読む、「自分」は話す・・・と言いますが、「自分」の後に続く動作がなくて、「自分」は「自分」だけで存在できるでしょうか。

この「自分」とは何でしょうか。どこにいるのでしょうか。

ピンと来ますか。不思議な気がしますか。

結論的に言えば、「本当の自分」は、ただ「ある」としか言えない時空を超えた不滅の存在なのです。このことを実感として分かることが、悟りなのです。

そこは静かで、平和で、常に満たされており、何の不安もない世界です。

是非とも、上掲のエックハルト・トール著「さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる」を一読されんことをお勧めいたします。

zen********さん

2018/1/1712:41:08

>普通の人間が、無明の闇を破って、大船に乗り、人生の歓喜を得ることはできるのでしょうか?

できます!
臨済禅では出家者だけでなく、在家者でも多くの人達が悟りに至っています。
悟りの体験のことを臨済禅では「見性体験」と呼んでいます。

「見性体験」をした者だけが悟りに至り、「見性体験」をしていない者は絶対に悟ることはできません。

ではどうすれば「見性体験」ができるのか?
答えは坐禅をすることです。
一人で坐禅をしていてもなかなか上達しないので、坐禅会に定期的に参加することが大切です。一人でやっているとどうしても真剣さが足りないからです。坐禅会に参加してみると集中力が全然違ってくることに驚かれると思いますよ。

坐禅会にもいろいろあって、単に坐禅するだけのところもあれば、老師から公案を頂いて本格的な禅の修行ができるところもあります。いろいろなところに参加してみて自分に合ったところを見つけて下さい。

坐禅会情報を載せておきます。
http://zen468.blog.fc2.com/blog-entry-32.html

pmk********さん

2018/1/1402:47:37

日々、人に対して明るく接し、親切に、時として大胆に助け、自分の人生は充分に楽しむこと。

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