足利義教や義輝 等、足利将軍は将軍就任している時でも 改名していますが 徳川将軍では いませんよね何故ですか? て、書いてて寧ろ足利将軍が改名をしている方が異常ですね。

足利義教や義輝 等、足利将軍は将軍就任している時でも 改名していますが 徳川将軍では いませんよね何故ですか? て、書いてて寧ろ足利将軍が改名をしている方が異常ですね。

補足

義教の初名が 義宣で「世忍ぶ」だから改名したと言うのは知っています。

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「足利家官位記」によれば、足利将軍で改名した人物は、初代・尊氏(高氏)を抜かせば全部で7人です。(コマ番号149/394) http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1879440/149?viewMode= 六代将軍・義教 応永35年3月12日、還俗して義宣と名乗る 永享元年3月15日、征夷大将軍となり義教と改名 八代将軍・義政 文安3年12月13日、義成と名乗る 文安6年4月29日、征夷大将軍となる 享徳2年6月13日、義政と改名 九代将軍・義尚 文明5年12月19日、征夷大将軍となり義尚と名乗る 長享2年月日不詳、義熈と改名 十代将軍・義植 年月日不詳、義材と名乗る 延徳2年7月5日、征夷大将軍となる 明応10年月日不詳、将軍を辞し義尹と改名 永正5年7月1日、征夷大将軍に再任 永正10年月日不詳、義植と改名 十一代将軍・義澄 明応2年4月28日、還俗して義遐と名乗る 明応2年6月6日、義高と改名 明応3年11月27日、征夷大将軍となる 文亀2年7月21日、義澄と改名 十三代将軍・義輝 天文15年7月27日、義藤と名乗る 天文15年12月20日、征夷大将軍となる 天文23年2月12日、義輝と改名 十五代将軍・義昭 永禄9年2月17日、還俗して義秋と名乗る 永禄11年4月15日、義昭と改名 永禄11年10月18日、征夷大将軍となる このうち、将軍在任中に改名しているのは、義政、義尚、義植、義澄、義輝の5人ですね。 足利将軍がこのように異常なほど改名しているのは、六代将軍・義教以来の慣例らしいです。 室町時代から戦国時代にかけて、大名をはじめとする武家は頻繁に改名する例が多く見受けられます。 改名の詳しい理由や動機は不明ですが、元号のように厄除けや心機一転をねらって改名を繰り返したのかもしれません。 また、徳川将軍の場合は、将軍就任以後に改名した例はなく、将軍世嗣に決まってから改名する場合が多かったようです。 六代将軍・家宣は、初名は綱豊でしたが五代将軍・綱吉の世嗣に決まってから改名しました。 十四代将軍・家茂も先代将軍・家定の継嗣となり慶福の名を改めています。 将軍の世継ぎが「家」の通字を代々継承する例は、三代将軍・家光から始まった慣例です。 五代将軍・綱吉と八代将軍・吉宗は、先代将軍の危篤に際して急きょ養嗣子として徳川宗家を継いだので改名はしませんでした。 同様に、十五代将軍・慶喜も将軍世嗣になったわけではなく、養嗣子として徳川将軍家を継いだので、「家」の字の入った名前は名乗れなかったようです。

ThanksImg質問者からのお礼コメント

回答ありがとうございました。 改名の詳しい理由や動機は不明とありますが、歴史学者は 疑問に思わなかったのでしょうか? それとも研究はしていたけど結論が出せなかったの どちら何ですかね。

お礼日時:2018/3/1 20:51

その他の回答(3件)

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厳密に言うと(幼名は除く) 初代家康は松平元信→松平元康→松平家康→徳川家康 6代家宣は綱豊→家宣 8代吉宗は松平頼久→頼方→徳川吉宗 13代家定は家祥→家定 14代家茂は慶福→家茂 15代慶喜は松平昭致(→一橋慶喜)→徳川慶喜

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何故かと言うと幕府機構の差かと、足利将軍家は6代義教暗殺以降、弱体化してます、 徳川将軍家は幕府機構がしっかりしてるので、就任後,改名する必要性が無かったのでは? (処で⏫の人に校閲します・徳川吉宗は頼久とは改名してませんよ、ソレは紀州家14代茂承の前名ですよ。)

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徳川将軍で、 6代将軍家宣の初名は綱豊 8代将軍吉宗も頼方 13代家定は、家祥 14代家茂は、慶福 15代慶喜は、昭致 家宣、家定、家茂の3人は将軍継嗣になって以降の改名。 家茂は就任にあたっての改名、家定は将軍になってからの改名。 家宣・家茂は宗家でない時に元服、時の将軍家の偏諱を受けた名前を改名した。