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元ヤクルトの成田昇投手を知ってますか?

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ID非公開さん

2018/3/1708:51:46

元ヤクルトの成田昇投手を知ってますか?

1970年

ヤクルトがドラフト会議で十一番目に指名した元西濃運輸・成田昇投手(21)=1㍍81、75㌔、右投げ右打ち、愛知工大中退=ヤクルト入りが三十日、決まった。ヤクルト、小山スカウト部長が前日午後、愛知県一宮市の成田投手宅をたずね、父親・福萬さん(62)と会いヤクルト入りの内諾を得たもの。成田投手は、一宮高時代から右腕本格派投手として高く買われていた。愛知工大に進学、一年生の春季リーグ戦から登板、二年間で18勝をあげた。速球とシュートの切れ味がよく、愛知大学リーグの雄・中京大も成田のシュートにはさんざん苦しめられたこともある。家庭の事情で二年で中退、ノンプロ西濃運輸に入社したが、今夏の都市対抗終了後に退社した。ヤクルトは、小山スカウト部長が早くから成田の素質に目をつけており、西濃運輸を退社したことを知ってドラフト会議で指名、交渉権をとり、小山スカウト部長が中心になって交渉していた。

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ray********さん

2018/3/1919:33:38

知らなかったので調べました。

愛知県立一宮商業高等学校から愛知工業大学へ入学し、1年生からエース。

愛知工業大学を2部から1部に昇格させる原動力になった。

その昇格直後、榎本直樹がエースの中京大学を破り、成田旋風を巻き起こした。

家庭の事情により2年生で中退したが、その間に通算18勝する。

サイドからの速球とくに内角シュート、外角ナックル式の落ちる球は見るべきものがあり、制球力も良かった。

その後、西濃運輸へ進み、退社した1970年のプロ野球ドラフト会議でヤクルトアトムズから11位指名され入団。

1軍の試合には出場することなく、1974年に引退した。

宇佐美徹也によると、1971年6月25日のイースタン・リーグのロッテオリオンズ戦で、打席に立った飯島秀雄(代走専門選手としてプロ入り)から三振を奪っている。


背番号
47 (1971年 - 1974年)

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質問した人からのコメント

2018/3/19 20:05:03

うひょおおおお

ベストアンサー以外の回答

1〜1件/1件中

gol********さん

2018/3/1717:12:16

即戦力期待したが プロじゃダメでしたね

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