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縄文時代には既に稲作が普及してたとか弥生人は渡来した民族ではないとか言ってい...

ani********さん

2018/3/1900:42:44

縄文時代には既に稲作が普及してたとか弥生人は渡来した民族ではないとか言っている人って、自分たちのルーツが大陸にあると認めたくないが為のこじつけに思えるんですがどうなんでしょう。

補足元々粟や稗などの栽培はしていたが効率が悪く、同じ場所に定住できるほどの収穫は出来なかった。
そこに弥生人がやって来て、民族の置き換わりや混血が進んで今の形になった。
ついでに稲作などの行動な技術も持ってきたので、大規模な収穫ができるようになり、次第に環境のいい場所に定住するのーようになり、国ができあがった。

と自分は認識しています。

私がありえないと思うのは、弥生人は日本列島から発生した民族で、日本人に大陸人の血は一切入っていないとか、技術も入って来ていないので、弥生時代の稲作は縄文時代から独自で編み出した技術であるとかいう説です。

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rob********さん

2018/3/2306:34:19

岡山県の縄文時代の遺跡の縄文式土器からジャポニカ米のプラントオパールが発見されています。
考古学界はこの事に難癖をつけていますが、渡来人が用水路の整備をして稲作を伝え、轆轤を持ち込み、弥生時代の幕開けがあったのは間違いないと思われますが、米作の起源は日本だった可能性はあります。
米作と言うか、川沿いに広がる湿地帯に野性的な農業をしていた可能性です。
東南アジアも中国も長粒米ですので、縄文式土器についたジャポニカ米のプラントオパールの発見は歴史を覆すセンセーショナルな話題ですが、考古学界が否定的です。
米作の起源は中国だとの考え方はどうも日本発らしく、最近になって中国が米作の起源だと言い出したのをウエイポーで見ました。

  • rob********さん

    2018/3/2306:50:13

    今調べると、長江流域で6000年前のジャポニカ米のプラントオパールが発見されていますので、起源はやはり中国だと思われますが、日本での米作は3500~4500年前に既にあったと考えられます。

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u7m********さん

2018/3/2313:01:41

まあ、歴史をゲーム感覚で面白おかしく考えてる人には弥生=稲作=渡来人と単純化して見たがるのはわかりますが、事実はそうじゃないですよ。
他の回答にある通りです。イネは縄文から作られてました。そもそも植物なんてタネが流れ着いて勝手に生えることはよくあります。昔の人は生きるのに必死ですから生えてるモノを手当たり次第に食べてみて、イネや粟、稗、などが栽培用に残った可能性もあります。その後断続的にやって来た渡来人が徐々に少し進んだ栽培技術や水田耕作、灌漑の技術を伝え、先住の縄文人との混血も進み、自然と弥生人化していったと思います。「大陸からの弥生人の大挙来襲」なんて、当時の航海技術を考慮してもありえないですよ。

him********さん

2018/3/2308:12:17

広大な土地がある中国大陸からわざわざ命がけで毛皮を着ていて石槍を持った野蛮人である縄文人に稲作をわざわざ教えにやってきてくれるという点が最初から矛盾だらけだからです。また、稲作を行うためには少なくとも百人単位の人口が必要で当時の船の規模ではそれだけの人口が一度にやってきたと考えるのは不自然です。
また、半島から来たという説も日本より千年以上遅れてしか半島からは水田が発見されない。古代日本の稲の種類がそもそも半島からは花粉ですら出てきていないという科学的な証拠があります。半島はそもそも、台風も少なく水が少ないため稲作に向きません。そのため、大規模な治水工事が必要なのですがそのような遺跡(ため池)は日本では発見されても古代朝鮮では発見されていません。
最近のミトコンドリアやDNAの検査からも縄文人と弥生人で遺伝的な変化は見られず、やってきた渡来人はいたとしてもごく少数だったことがわかっています。そもそも日本人は交易の民であり、良質の翡翠や金と米を中国大陸で交換していたことがわかっています(微量元素で産地が特定できる)。その過程で気候も似てるし、うちでもつくれるんじゃないかと考え技術を学んで帰った縄文人がいたと考える方が素直ではないでしょうか。

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z_x********さん

2018/3/2307:37:29

こじつけではありますが、盗人にも三部の理といいますか、それなりの根拠はありあます。

昔の定説では渡来人が大量にやってきて原始的な狩猟生活をしてる縄文文化を駆逐したと考えられてました。しかしよく調べてみると縄文人は非常に多様で豊かな暮らしを形成している集団でした。農耕というほどではありませんが小規模な農業も営みながら平和で豊かな時代を1万年もつづけてました。その点で日本の土着民族であった縄文人が再評価されています。また日本人の顔を見ればわかりますが、基本的にはノッペリ顔(弥生人)タイプが多い。だから従来では大量の渡来民に征服されたと考えられてましたが、それもどうも違うらしい。渡来人というのは思ったよりもかなり前の紀元前10世紀くらいから”小規模な渡来”をくりかえしていた様子。制圧なんてものではなく”流れ着いた”といってもいいと思います。その渡来人が縄文集落に農業の生産性革命を起こさせたようです。自然に頼らずに自分で食料が増産できるようになれば、あとは人口を増やした村の勝ちです。狩猟民族にとって人口が増えることは食料難に直結しますから、その時に縄文人は増えずに弥生人が大量に増えたのでしょう。渡来人は外人ですが、日本に来て生活し、村の発展とともに増えた弥生人は外人というのでしょうか?

だから「日本人のルーツは大陸人だ」も正解ですし、
「日本人のルーツは大陸人ではない」も不正解ではありません。

mir********さん

2018/3/1911:31:01

日本史・世界史の元予備校講師です。

戦前まで縄文人=日本列島にいた先住民。
弥生人=大陸から渡ってきた現生日本人。
というような学説がありました。

根拠は縄文時代人と弥生時代人の骨格、とくに頭蓋骨の形状が大きく異なっているという理由から支持されていました。
しかし、遺伝子研究などから現在では縄文時代人が日本人のベースであり、これに大陸から渡ってきた人たちち混血したというProto-Japanese(原日本人説)が主流です。

大昔の造船・航海技術では、民族構成を入れ替えるほどの人数となる数十万人単位の人を海上移動させるのは困難であるのもその一つです。

日本人のDNAの中には南洋、つまり南太平洋諸島やフィリピン、インドネシアの人たちと相通じる部分もよく見られ、大陸からだけでないことがわかります。

南方系の顔=縄文系の顔(タレントの織田裕二さんのような顔立ち)
北方系の顔=弥生系の顔(皇室に見られるような顔立ち)

と面白半分に雑誌やテレビで紹介しているのもそんなところからでしょう。
ちなみに、これは戦前の学説と今の原日本人説をミックスしたもので、学術的根拠はないものですが、面白いとよく取り上げられています。

日本人のルーツは縄文人です。
しかし、その縄文人のルーツは何だと聞かれた場合は、南方の海洋民族と朝鮮半島より経由してきた人たちが混血したということになるのでしょう。

○○人と名がつく化石人骨と縄文人との関連性は不明です。
日本で発見される化石人骨は最近の研究でほとんどすべて現生人類(新人)と言われています。
ただ、サンプル数があまりに少なく古いためDNA抽出が困難で、縄文人との関係はわかっていないようです。

現在言えることは、日本人の祖先は縄文時代人ということ。
その縄文人はどうやって形成されたかは遺伝子に南方人の名残が大きいので、南方と大陸から来た人たちの混血ではないかぐらいでしょう。

日本人には渡来系の血はありますが、純粋に大陸系民族の血だけを受け継いでいないようです。生命工学、遺伝子学的には。

ouh********さん

2018/3/1910:32:55

稲作自体は伝播も古く全国で、行われていますが、集団で計画的に耕作したのが弥生からということですよ。

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