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藤堂高虎は羽柴秀長に出会うまでは、阿閉貞秀、磯野員昌、織田信澄とかの何故か険...

got********さん

2018/4/712:30:53

藤堂高虎は羽柴秀長に出会うまでは、阿閉貞秀、磯野員昌、織田信澄とかの何故か険がある上司の下で働き運が悪かったよなと同情しませんか。

特に織田信澄なんて、禄が安いから現代だと労基に言えるぐらい最低の低ですよね。

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ベストアンサーに選ばれた回答

loo********さん

2018/4/803:26:53

Q「藤堂高虎は羽柴秀長に出会うまでは、阿閉貞秀、磯野員昌、織田信澄とかの何故か険がある上司の下で働き運が悪かったよなと同情しませんか。」

同情は無いです。

まず上司がそうなったのは、ご存知かもしれませんが
「高虎」が「近江横山、高島郡」の「地侍」であり
結果「阿閉、磯野」の支配下の武士でした。

「流浪」しただのは江戸時代の講談で
じつは史料面では彼は近江の地を離れてなどいないのです。
むしろ「加増」人生です。

また「磯野員昌」出奔後し、その地を「織田信澄」が
拝領したため信澄の支配下になっています。

高虎が長続きしなかった分けではなく
上司がその地で長続きしていないのです。
高虎は別にその地から動いていないです。

結果、磯野員昌と揉めたなどでもなく
むしろ後に「磯野員昌」の子息「行信」も孫も
高虎の家臣となりました。

磯野員昌の出奔は新領主「織田信澄」との
領地権の問題であったとされ
そしてこの領地分配問題時期に
高虎は当時「近江長浜」の領主となっていた
「羽柴秀長」指揮下に置かれ
実はここでも高虎は土地を離れてはいないのです。
おまけに「加増」されています。

同情どころかその地に根を張り
上司が変わろうが出生し続ける
凄まじい武士の様相です。

Q「特に織田信澄なんて、禄が安いから現代だと労基に
言えるぐらい最低の低ですよね。」

いえ、この時代には上記で説明しました通り
「磯野員昌」出奔事件に呼応するかのように
「羽柴秀長」付きになり加増されています。
わりと良い感じです。


流浪の成り上がりは講談の話しで
実際は「近江」でしぶとく良く働き
出世していった武士が藤堂高虎です。

再度、言いますが上司が
その地(近江)でもっていないのです。

質問した人からのコメント

2018/4/13 21:47:14

近江から離れず出世とは、かなり根性はありますね。

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