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江戸時代、小判から銀貨や銭に交換する需要はかなりあったわけですか。 小判一...

unk********さん

2018/5/213:13:00

江戸時代、小判から銀貨や銭に交換する需要はかなりあったわけですか。

小判一枚が6500枚ほどの寛永通宝に交換されたようです。

寛永通宝(銭)の中でずっと生きていれば、余計な手数料を取られることもなかったでしょうけれど、小判、一分金、丁銀、一分銀、寛永通宝などを行ったり来たりする需要は大きかったわけですか。
例えば、旅に行く際は寛永通宝は重いので、高額な小判、分判に交換して、現地で再度崩すわけですか。

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non********さん

2018/5/217:26:04

「これ小判たった一晩居てくんろ」という江戸川柳があるくらいで、庶民は寛永通宝の世界で生活していたが、商人は1分金や丁銀の取引が多かった。特に秤量貨幣の丁銀の場合は小粒銀で金額をあわせる必要があるので、両替商は繁盛していた。
後世になり扱いやすい1分銀が発行されると庶民にも広まり、銀貨と銭の交換は変動相場なのでますます繁盛した。
経済の発展で高額の金貨などが不足になり、扱い易い手形が流通するようになって業務が拡大した。

例として旅の話。
天保の頃江戸から片道12日のお伊勢まいりには、4両用意しなければまらなかったという。小判なら4枚で済むのだが、旅籠代250文は小判では払えない。
小粒銀(豆銀)にすれば支払えるが、4両は銀約250匁にもなり、1㎏もの荷物が増えてしまうし盗難の恐れが高い。難儀なことである。
そこで出発地の両替屋で手形に替え、先々で、銀や銭に替え支払った。判がなければ替えられず、番号もついているので、盗んでも両替不能だった。
別に当座の支払いに巾着に何百文か入れて持ち歩き、強盗にはこれを渡して逃げたともいう。
今野信雄著「江戸の旅」より

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u7m********さん

2018/5/715:50:50

現代の感覚ではいちいち自国通貨の両替に手数料を取られるのは納得がいかないのもよくわかりますが、当時の通貨は金属の売買のようなもので、金銀銅の相場の変化に合わせ通貨の交換レートも毎日のように変わったので、リスクを負う両替商が手数料を取るのもやむを得ないとも思います。現代で言えば外国通貨の両替に近いと思います。関東=関西間の取引や、遠くへの旅は現代の海外取引、海外旅行と同じで、その都度両替し、手数料を払うことに文句を言う人はいないのと同じでしょう。昔の日本はそのくらい地域差があったし、もとより庶民は大きなおカネを使うことは滅多になかったので「そういうものだ」と思っていたのでしょう。
また、現代でも少し以前には街中で大きなおカネを崩してもらう際(例えばたばこ屋などで1万円を千円に)に手数料を取られることはままありました。考えようではそれも当然ですよね。

yos********さん

2018/5/715:07:15

江戸は金本位制ですが、上方を中心とした大半が銀本位制です。

上方では金の小判は基本的に使えません。

江戸の庶民は銭で充分でしょう。

江戸でも上方でも使える二朱銀が作られて需要が大きかったわけです。

ojy********さん

2018/5/215:36:35

庶民は小判なんて手にとったことすら無かったでしょう
ですから、そこまで両替の需要があったとは思えません

むしろ、金ー銀の両替が主でしょう

旅ですが、両替商が手形を発行します
ですので沢山持って旅する必要はないのです

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