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あわないほうにあわせてしまう癖をやめたい 私は、人間関係で、公務員予備校、...

agd********さん

2018/5/907:21:15

あわないほうにあわせてしまう癖をやめたい

私は、人間関係で、公務員予備校、社会とあまり関わらない大学教授、
自営業の男性など、何かあわない職種の人がいます。

その人たちは、たいてい、私に対して、「不器用な男の子」とか、
「生真面目な男の子」とか、それを演じると生き難いキャラを作ります。

あまりにそういう感じすぎると、現代の多忙な中ではしんどいのは誰でもそうだと思います。

私は女です。
その人たちに毒を感じてしまいます。話を聞くと、どうもキツイことを言われやすいと思うし、
人生を脚本にたとえると、その人たちと共同の歩調や同じペースで人生を歩むと、
うまくいかない、自分らしくあれないアダルトチルドレンな人生になることが多い。

ちなみに、女性や、異なる仕事…企業や官公庁の人事、幹部役員や、
友達や先輩、田舎に住んでいても都会で働いたことのある女性、
教師でもバブルの頃に遊んでいたような先生など、
会話の通じる人はいて、その人たちと話す場合は、脳内がすっきりして、
頭の回転が速くなる。

私が鬱状態になるのは、先に書いた職種のおじさん…だいたい、相手に、
じんわりした優しさ(強さや賢さのない優しさ、ぐっと自分の言いたいことを抑えるような)を前提にしがちな人たち。

私をよく知る人たちからは、私は、冷静で落ち着いた物腰、冷徹、気が強い、と言われます。
気が強いので、優しくするにも誰かを犠牲にしない、自己犠牲や過剰な他人の犠牲をまず理性的に作らないタイプとされます。

4月まで、住んでいた地域の風土に毒されていたこともあるとは思うのですが、
4月以降も、ずっとその自分の合う、コンディションのいい方の関係や意識に合わせていなかったことが、今も「みんな死ねばいいのに」とふと思ってしまうような自分のストレスになっています。毒親という本が一時期にありましたが、親に限らず、毒=あわない感性をぶつける対象にしてくる人たちとすれば、何かそういう毒に合わせてしまう自分をやめたい。

確かに、昔から、中学である賢くて明るい子と友達をやめてから(私がその子を裏切ったけど、その子は私を赦そうとしたので、私はそれは正義ではないと思って、距離を置いて別の友達を作った。友達でも私にしたらいけないことは、だめだと言わないといけないのでは、と自分のその友達といたいという気持ちより優先してしまいました)、
クラスの中で何かがうまくいっていない人と友達になると、毒のある関係がその後も増えていきました。
それは「相性」の問題に思えました。

2015年の11月まで、そういう関係がプライベートでも多かったのですが、
夏から昔の教師やクラスメイト、友人といろいろ話し合い、
本来の自分でありやすい環境作りに協力され、
自分らしい進路や人生を取り戻す予定でした。

でも、私の悪い癖で、どうしても、公務員予備校の職種の人など、
ある特定の…ビジネスならMBAの雰囲気ではないとか、
スッとした雰囲気ではないとか、そういう感じの波長にあると、
自分らしさ、自尊心、自信を失っているあわないほうにあわせてしまいます。

自分がなぜか貧乏ゆすりや威圧的な意地悪をされやすいのも、その仕事の人たちで、
特定の仕事の人たち以外からはされないから、相性に思います。

メイクや服装が派手派手しくはないので、誤解されやすいのかもですが、
女性のほうが見抜きやすいのか、そういう風には思われません。
思われないとしたら、その人たちはたいていは、ゲームオタクであるとか、
オタクっぽい口調で話すとか、中学生みたいな付き合いを大人になってもしているとか、
何か違う波長の人たち。

私は、私をよく知る人からは、何か人間関係に巻きこまれていても、
何時でも自分一人で意識を保てるほうがいい、自分は自分、他人は他人、と言われました。
ただ、私の場合、確かに、自信がないのではなく、社交していくうちにペルソナをあてつけられたり、取り込んでしまうのが原因と昔の担任からも言われ、
「役者の役疲れ」のように、外国の景色を見たりひとりで天蓋のある寝室で寝ると、
心が豊かで本当の自分を自然と意識できます。

よく自信がないから自分以外に合わせてしまうんだね~と馬鹿にされたように言われる場合、
前提としての悩みの根幹が違うので、何の解決にもなりません。

日本で言えば、学校のクラスでたとえるとさらりとした感じや、
竹を割ったようなところのない空気が苦手なのだろうし、
担任からも理性的で大きな組織で働くといい、ペルソナは切り捨てろと言われました。

私は、クラスの中で狭い波長の中で生きているような人間関係の、
いじめをする側もされる側も、どっちも苦手、その気持ちを持っているふりをするのがしんどくてたまらなかった。根が冷徹と言われるのはそのせいです。
企業や官公庁の人事や役員、面接官、社会人とは馬があうのに、
そこへ至る過程で、公務員予備校の人など、障害があります。

どうすれば?

補足友人関係では結構、よくも悪くも互いの本質を見抜いていくからか、私がその自分らしく生きている場合は友達は離れないし、逆に、それらしく生きていない場合は離れていく。
同じグループでも差異はありますが、いざという時に助けてくれない人(浅い関係にしかなってもらえない人)は、たいていは地方公務員になる人。(あちらから遠ざけられます)
助けてくれる人は、世界で働いている人、
何かしらの波長の違いがあるみたいです。

でも、公務員予備校の職種の人だけ、そういう友人知人が見抜きあうような、
個性を無視するので、その人たちと接するうちに、どんどん現実の面接官や、
プライベートの交友の相性から遠ざかり、あわない方に合わせて孤立しやすくなる印象を受けます。
前に関わったことのある職場も、この子は最初から成長してうちを出ていくだろうなという前提の扱いで、
そういう意味で大事にされていたけど、同時に相性がどんなに合わなくても、
その「差異化」を無視はされてませんでした。
公務員予備校の仕事の「おじさん」には、こうした「差異化」を無視され、
それと似たことは大学教授の男性(やや左翼的な研究者気質な感じ)、自営業のおじさんに多いのです。

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min********さん

2018/5/916:29:20

質問文中にあるように、「自分は自分、人は人」で割り切るのが一番ですね。
何をどう難しく自己表現した文章にしても、結局は合わないんでしょ?
なら、「割り切ればいい」と思いますよ。
常に自分と性が合う人がいる状態で生きていけるとは限りません。
ですから、どこかで線引きをする必要があるわけです。
性が合わないのなら、無理してお付き合いをする必要性が無いと思いますし、その必要性も感じません。
仕事上仕方なく会うのであれば、それは仕事ですから仕方が無いことですけどね。
誰しも、自分を肯定してくれる人にはここと良さを感じます。
でも、自分の全てが絶対的に正しい訳では無いので、否定論者から否定論の知識を得ることも経験だと私は考えています。
それは、否定論を自分に取って都合良く理解するためでは無く、自らの不備な点を是正するための、自分の伸びしろを伸ばすための一方策だと思うからです。
かといって、その渦中に、常に存在しているとストレス過多になりますから、一線を引いて対応していくのが大人の接し方だと思います。
そしてそれは、自分をストレスの火中に入れない重要な一方策であるとも思います。
結論的は、合わないのであれば、仕事以外会う事も、合わせることも必要はないと思いますよ。

  • 質問者

    agd********さん

    2018/5/916:40:39

    回答ありがとうございます。
    そうなんですよね。

    確かに、今、自分でもあれ?とふと思ったのは、そんな「過去のことは忘れればいいし」「人間関係は元来、ほどよい距離感がお互いいいもの」と思うのに、
    去年の春に変なマンションのある地域にいてから、その地域に来てすぐ拒否反応が出たのですが、それまで変な近すぎる距離感の人間関係(一緒にいたら非経済的なこと(ルサンチマンなタイプの議員への悪口とか)を言われ、若者が生きていくうえでは障壁になりやすい関係)に関わっていたとはいえ、そこからは忘れていいはず…なのに、
    悪い意味で考えているのは、その土地にいてから。

    そんなちょっとした変な人がいても、忘れていいはずなのに。
    ダークなイメージが湧くとか。
    今もそれを湧きかけて「あれ?」と思ってやめました。
    それって本当の私の感じ方とは違うなあと。

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