ここから本文です

応仁の乱、戦国時代、安土・桃山時代は戦が多かった時代なのに何故に多くの能、東...

got********さん

2018/5/1622:40:17

応仁の乱、戦国時代、安土・桃山時代は戦が多かった時代なのに何故に多くの能、東山文化、安土,桃山文化や女歌舞伎とかの現代に繋がる文化が生まれたのでしょうか。

普通は、戦乱となると世界史だと暗黒時代になるか荒廃するのに日本の戦国時代は逆に文化や暮らしが発展したのでしょうか。

閲覧数:
62
回答数:
3

違反報告

ベストアンサーに選ばれた回答

ouc********さん

2018/5/1819:04:18

中世までと近世を比較すると分かりますが、古代から中世までは基本的に京都を中心とする中央集権型の社会でした。これは単に権力者が京都にいるだけでなく、地方で生み出された財(米や特産物など)がほとんど京都に運ばれ、地方にはほとんど残りませんでした。
応仁の乱は、この中央集権を崩壊させ財が中央に運ばれなくなり、地方の財が地方で使用されるようになったことで戦国大名が登場し地方分権型の社会に転換しました。
しかし、地方で発展した大名といえども、支配には正当性が必要であり、そのために朝廷や幕府からのお墨付きを得るために金銭的支援や文化的向上を求めました。要するに、下克上であろうと、精神は中央への憧れがあり中央的であろうとする大名が多数存在し、中央で流行っていた能や茶などが地方でも発展していったのだと思います。

簡潔にすると、これまで財が中央に集中したが応仁の乱をきっかけに地方で消費されるようになった。このため、平和だった時代より地方では潤っていた。この財を地方の大名たちは、中央的であるための役職や官位、文化の向上のために使ったので、文化が地方に広がり発展していった。

質問した人からのコメント

2018/5/23 21:07:06

中央に憧れがあったんですね。

ベストアンサー以外の回答

1〜2件/2件中

並び替え:回答日時の
新しい順
|古い順

sas********さん

2018/5/1706:42:00

戦国時代は経済的にも発展期と言われています。農具の開発、治水とかで生産性が上がり。支配者による経済管理と利便性を高めてより高い発展に拍車をかけました。
また信長などが美術品や茶器など価値を高めて貨幣以外の生産物等価物を作り上げた事が精神的なものを含め文化発展期となったかと思います。

ejn********さん

2018/5/1700:49:55

室町時代にそうした文化がおきたのですが、
経済力が貴族以外の商人や武士も持つようになったことで文化を享受する層が広がった。
都が戦で荒れたので、文化持った人が地方に逃れたために、地方にも文化が広がった。
などかな。

この質問につけられたタグ

みんなで作る知恵袋 悩みや疑問、なんでも気軽にきいちゃおう!

Q&Aをキーワードで検索:

Yahoo! JAPANは、回答に記載された内容の信ぴょう性、正確性を保証しておりません。
お客様自身の責任と判断で、ご利用ください。
本文はここまでです このページの先頭へ

「追加する」ボタンを押してください。

閉じる

※知恵コレクションに追加された質問は選択されたID/ニックネームのMy知恵袋で確認できます。

不適切な投稿でないことを報告しました。

閉じる