ここから本文です

元ロッテの近藤重雄投手を知ってますか?

アバター

ID非公開さん

2018/5/2617:10:48

元ロッテの近藤重雄投手を知ってますか?

1964年

緒戦の東芝を4安打の1点、最後のいすゞ戦を4安打の完封、あざやかなピッチングだった。「虎若ひとりの投手陣」という定評をみごとにくつがえし、優勝への原動力となった。「トラさんが春から故障で投げられなかったでしょう。ボクが投げなければならないという責任がありましたから懸命でした」毎日二百球のピッチングは欠かさなかったという。永井監督も「近藤はまじめな男で、僕のいうとおり、一生懸命やってくれた。こんにちあるのも彼の努力の結果だ」とベタほめ。何しろコントロールのよいのが強みだ。内外角いっぱいをつくストレート、カーブ、シュートと球質が多く、ぎりぎりのところをよぎっている。東芝にしてもいすゞにしてもはやいところで追い込まれ、くさいタマを打たされ凡打に終っている。「虎若だと思って左を中心に練習していたんだが・・・」という東芝鈴木監督のことばを待つまでもなくスイ星的な出現だ。川崎を席巻した新鋭近藤の右腕は後楽園でも活躍が期待される。二十一歳、石川高校出身。

閲覧数:
24
回答数:
1
お礼:
25枚

違反報告

ベストアンサーに選ばれた回答

2018/5/2800:00:17

以前学習しましたね。
知ってます。

学校法人石川高等学校では、1960年夏の甲子園県予選で準決勝(東北大会代表決定戦)に進むが、双葉高に延長11回敗退。

この予選では7試合64回を投げ、夏の地方大会記録となる110三振を奪った。

卒業後は日本コロムビアへ入社。

1964年の第35回都市対抗野球大会では決勝まで進出し、日本通運の田中章と投げ合うが惜敗。

準優勝に終わったが、大会での活躍ぶりが認められ久慈賞を受賞した。

同年10月には東京五輪デモンストレーションゲームとして開催された、社会人野球選抜と米国大学選抜との試合にも登板している。

1971年プロ野球ドラフト会議でロッテオリオンズから5位指名を受け入団。

指名時の年齢は当時のドラフト史上最高年齢の29歳1ヶ月であり、すでに結婚して1女をもうけていた(現在の最高齢記録は市村則紀)。

初勝利は1972年5月10日の西鉄戦(東京球場)。

先発・成田文男を6回からリリーフして以後の4回を2安打0点に抑え、打線の大量援護にも恵まれた。同年は2勝に終わるが、翌1973年は主に中継ぎとして6勝を記録。


1974年には中継ぎ、抑えとしてチームのリーグ優勝に貢献。

しかし中日ドラゴンズとの日本シリーズでは登板機会がなく、同年限り、プロ生活3年で引退した。

スリークォーター気味の投球フォームからスライダー、シュート、カーブを投げ分けた。

通算107試合登板。
10勝9敗2S
防御率4.03

背番号
15 (1972年 - 1974年)

学法石川高時代は本格派投手として脚光を浴び、県高校野球界でも三振奪取記録を残すなど期待されていた。

「コロムビア」では下手投げの技巧派投手として活躍、三十九年の第三十五回都市対抗野球で久慈賞(敢闘賞)を獲得している。

アバター

質問した人からのコメント

2018/5/28 16:46:01

うひょおおおお

みんなで作る知恵袋 悩みや疑問、なんでも気軽にきいちゃおう!

Q&Aをキーワードで検索:

Yahoo! JAPANは、回答に記載された内容の信ぴょう性、正確性を保証しておりません。
お客様自身の責任と判断で、ご利用ください。
本文はここまでです このページの先頭へ

「追加する」ボタンを押してください。

閉じる

※知恵コレクションに追加された質問は選択されたID/ニックネームのMy知恵袋で確認できます。

不適切な投稿でないことを報告しました。

閉じる