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関ヶ原の戦いにおいて、小早川秀秋は一体どのタイミングで東軍に寝返ったのですか?

yuu********さん

2018/6/2707:44:41

関ヶ原の戦いにおいて、小早川秀秋は一体どのタイミングで東軍に寝返ったのですか?

誰が死んだときとか、何が起こったときとか。

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kas********さん

2018/6/2903:34:38

開戦と同時に
攻めかかるとのことで以前に言われていたような
最後の最後まで迷って最終的に裏切ったとの話は
創作だったと言われています。
関ケ原の戦いが終わってから20年後ぐらいに出た資料の当代記では
大谷吉継、石田三成、宇喜多秀家などが陣を敷こうとした時には
家康の味方と記載されています。

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tos********さん

2018/6/2714:46:14

最近の研究ではいきなり攻撃を仕掛けてきたということになってますが、
もともと三成の讒言で領土を配置換えさせられそうになって
家康に助けられたそうなので
間違っても三成の見方はしないはずです。

ohx********さん

2018/6/2710:14:44

家康から鉄砲を撃ち掛けられて、狼狽した秀秋が寝返ったと言われてますが、家康の本陣から秀秋の陣まで鉄砲の音が聞こえたのか疑問視されてます。
記録によって細部が違ってるので何のタイミングかは判りません。実際の戦いに加わった西軍の兵力は少ないながらも良く奮闘したものの、疲れが見えたとして裏切ったのかも知れません。

goi********さん

2018/6/2709:52:28

最初っから東軍です
厳密には石田VS小早川
から戦は始まりました
戦闘が起こっていないだけ

小早川が西軍の伊藤を追い出して松尾山を占拠したため、石田は大垣城を出陣して小早川と対陣したんです

pea********さん

2018/6/2708:25:15

一般的には狼煙で反応せず、徳川家康の威嚇射撃で寝返りを決意したことになっています。

一般的には狼煙で反応せず、徳川家康の威嚇射撃で寝返りを決意したことになっています。

der********さん

2018/6/2707:54:58

事前に寝返っていた。(内応に応じていた。)

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