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戦国時代の老将はマッチョが多い ①伊達政宗 遺骨から手足が太くマッチョ ②...

tom********さん

2018/6/3016:36:08

戦国時代の老将はマッチョが多い

①伊達政宗
遺骨から手足が太くマッチョ

②徳川秀忠
遺骨から意外と思われるほど、筋肉質で十分に鍛練されていた模様

余り武勇伝を聞かない秀忠でさえ

鍛えていたみたいなので、この時代に貧弱な武将なんていたんでしょうか?

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回答数:
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ベストアンサーに選ばれた回答

2018/7/116:39:28

老将に筋肉質が多いのではなく、筋肉質なほど鍛えている者だから老年まで生き残れただけです。

豊臣秀吉や石田三成は貧弱な体型でしたが、男尊女卑という意味ではマッチョです。

質問した人からのコメント

2018/7/3 10:17:56

ありがとうございました。

ベストアンサー以外の回答

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2018/7/221:39:46

伊達政宗は、奥羽の大名の本家筋にあたる大名です。近隣大名はみな、伊達家の養子や姫が嫁いで子供を産み、更にその子供の嫁に伊達家から姫を送り込んで、伊達家の血を注入しております。岩城・大崎・葛西・石川・二階堂・留守・亘理・相馬・田村・蘆名・佐竹の家系図を見ればわかるように伊達家(宗家)の人物が登場してきます。その一番の御曹司(長男)は、子供の頃から英才教育を受けてます。伊達輝宗の様に次男が宗家を継ぐ例外もありますが、次男以下は、他家の大名家や城主(国人領主)の養子になるので、彼らも英才教育を受けます。なので、政宗が、武芸以外にも和歌・漢詩・茶の湯・書道(多分この当時の大名では一番達筆)をたしなんでいたのはそういう理由からです。それが、分家の伊達成実(伊達氏の分家の小大名の当主)になると、武芸だけを磨いていたので、比較的成り上がりの織田信長は、武芸以外は、あまり英才教育を受けてなかったようです。こういった人は実質の手紙は少なく、祐筆という代筆してくれる人がいるわけですが、政宗の様な人物は実筆が多いわけです。秀吉や浅野長政、福島正則、加藤清正、前田利家などもそうです。彼らは大人になって茶の湯や和歌、漢詩を習ったりしたわけです。

家康の息子、秀忠も正直生まれた家は松平家、家康の時代に今川の一族衆に扱われましたが、伊達家の分家の伊達成実みたいな小大名の出身なので、家康自体も茶の湯や書道、漢詩、和歌などよりも武芸をたしなんでいました。信長が、恩賞の代わりに茶の湯でもてなしたり茶器を与えたりする接待に対応する為に秀吉や利家みたいに成人してから学んだタイプだと思います。その御曹司の秀忠は、信長に長男の信康を切腹させられた年前後に生まれた人物なので、家康の家が大大名になって豊臣政権の2世大名と交流させるために英才教育を受けさせていたのです。例えば、細川忠興は藤孝の息子で、父親も文化人(元足利義昭付でしたので)でしたので英才教育を受けてますし、秀吉の養子や猶子達(豊臣秀次・宇喜多秀家・小早川秀秋)も英才教育をして育ちました。なので、政宗は、どちらかというと彼らとはすんなり仲良くなれましたが、浅野長政、福島正則、加藤清正らとはウマが合わず結構もめていたそうです。

文武両道と言えば、蒲生氏郷もいます。彼の父親は六角氏の家老(大体6~7万石の小大名)の出身の子息でしたが、蒲生氏が降伏した時に信長の人質になり、英才教育を受けてその中でも特に優秀で、信長の娘婿になりました。茶の湯では千利休の弟子でも筆頭に挙げられた人物ですが、戦場では先陣を切り戦う猛将でした。政宗の伯父の最上義光も連歌や古典に精通していて、連歌の数は、細川藤孝(幽斎)に次ぐそうです。彼は、暗殺が得意で、単身で敵の城主の首を獲ったり、大勢の敵を倒す逸話が多いです。かなりの長身で偉丈夫だったそうです。彼もまた斯波氏出身ですので名門です。英才教育を受けたのだと思います。

そういう事で、基本名門の子息は文武両道ですし、名門じゃなくても出世した大名の二代目は、英才教育を受けているのだと思います。

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