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知行500石と、蔵米500俵は知行取りのほうが格上なのですか。 知行は、土地を支...

unk********さん

2018/8/2613:36:07

知行500石と、蔵米500俵は知行取りのほうが格上なのですか。

知行は、土地を支配できるので得なのでしょうか。
人間を賦役させることができるので、得と言えるのですか。

けれど時代劇のように金も払わずにタダ働きさせることはできないのですね。
蔵米取りのほうは、お米を現物、あるいは証書などでもらうのですね。
確定しているので、豊作不作関係なく500俵はもらえるのですね。

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siv********さん

2018/8/2614:28:57

その場合、知行取りのが圧倒的に上です。比較にならないほどに。
知行取りの場合はその地域では殿様と言われているような存在です。
蔵米取りは完全にサラリーマンですが、知行取りは領主です。
また、年貢率も自分で決められます。

蔵米取りは500俵といっても安定はしておりません。
現物支給はされません。なぜならそんな大きな蔵を武家は持っていないから!
蔵米取りは米相場の価格で貨幣での支給でした。
これが不幸のもとで、武家の給金が出る時期は商人によって徹底的に売り浴びせられ極端に暴落させられて、給金支給後に商人たちが買い戻して値を戻すことが当然でした。
これは今の原油相場などと同じです。原油を保存するタンクを一般の人は持っていないので期日前に徹底的に売り浴びせられ暴落するのです。
相場の恐ろしいところは単位が大きいことです。(つまり現物で引き取ることが物理的にできないという弱みがあるわけです。いくらでも手放すしかないのです)
今の原油相場と同様、武家は商人たちの米相場によって生活をめちゃくちゃにされておりました。
極端に安い価格で米を売らされて、日々の食べる米を高く買うという本末転倒な悲惨な状態だったようです。経済感覚のない武家はものすごく苦しかったようです。
これはオカミ(勘定奉行など)が大規模蔵を準備して相場をコントロールし、武家や庶民の生活を守るべきでしたが、そういったことは武家にとっては恥だと考えられていたのです。

ベストアンサー以外の回答

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u7m********さん

2018/8/2616:33:57

武家としては「格上」です。知行取りは基本的には領主ですから。
経済的にどっちが得か?というのは近代以降の発想で、昔は決して「カネ」だけで判断しなかった。
実際に上級家臣は知行、その下は蔵米、更に下は給金だった。この質問はその境目でどっちが得か、を言ってるだけで家臣の序列は知行が上。

更に言えば、江戸時代では知行取りと言っても形式化し、実際に領地を持って自分で経営に当たるのは稀。俸給としては蔵米と大差のない扱いがほとんどなので、豊凶による両者の差も余り発生しなかったはずです。

met********さん

2018/8/2616:10:45

他の回答にもあるように知行の方が身分が上です。

知行をもらっている家柄は本当の武士、支配階級です。

蔵米をもらっている家柄は、もと足軽。
戦国時代なら、農民と同じで被支配階級です。
江戸時代になって辛うじて支配階級の末席に加えてもらっているだけ。

相当な違いです。

pla********さん

2018/8/2615:55:54

江戸時代の武士にはふたつの種類があって、ひとつは主君から知行地(領地)を分与された「知行取」。これは給人と呼ばれていました。もうひとつは、知行地を分与されず、玄米や現金などで給与を支給される「無足」です。もちろん知行地を分与された「知行取」の方が格式が高く、玄米や現金で給与を支給される「無足」は格下とされていました。しかし、このような例があったそうです。某藩の切米50俵取りの藩士が功績により知行70石に取り立てられましたが、逆に生活が苦しくなったそうです。理由は切米50俵の時は玄米25石だった年収が、知行70石になると玄米22.5石になり、かえって減収になってしまったのです。


確かに500俵取りも、500石の知行取りも同じ収入だと言えますが、しかし実際には500石の知行取りの方が、少々年貢を増させれば、500俵より多くなるし、その知行地の領民の労働力を提供させたりする有利がありました。領主様と言われる地頭だからです。ですが飢饉にでもなれば200俵分の収入はありません。一方、500俵蔵米取りは、豊年または飢饉に関わらず正確に500俵を支給されましたが、米相場の変動により収入の多い少ないがあり、どちらがよいとも言えません。

多くの藩の知行取りの藩士たちは、現実の知行地に触れることはなく、藩主から与えられた証書「知行宛行状」でしか自分が領主であると認識できませんでした。知行地は藩の代官によって管理され、知行宛行状に記された石高分を支給されていたのです。幕府は元禄頃に知行直しがあって、500俵以上は知行所制に切り替えられたので、500俵未満の者はだいたい俵取りと言われています。ただし例外がいくつかあり、例えば江戸町奉行所所属の与力などは平均200石取りで知行地があり、この知行地は個人別に与えられたのではなく(総員給与分を一括して与えられる知行地を大縄地と言った)、与力と同心の総給与分を含めて1万石とし、上総国に知行地がありました。この1万石の中で南北両町奉行所の与力同心の給与を賄ったもので、その中には160石の与力もいれば、230石の古参与力もいて、また同心の分として平均30俵も含まれていました。
ゆえに町奉行所与力は平均200石の知行取りですが、どこが自分の知行地であると言うことは、まったくわかりませんでした。

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jun********さん

2018/8/2614:17:58

まず、前提として、一石と一俵は同じではありません。
一石=2~2.8俵くらいです。

ですから、知行500石と、蔵米500俵なら、当然500石が上です。
ただし、500石の知行主は、500石をそっくり、
手に入れられる訳では無く、年貢として40%ほどが、
自分自身の収入になります。
つまり、実収入は200石ほどで、俵数でいえば、400俵から、
560俵ほどになります。

ただ、慣習的に知行取り=上士、扶持米取り=下士として、
身分上の違いがあったため、知行取りの武士の方が、
格上になるのです。

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