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アテネ民主政治の過程を ペルシア戦争の前、後とペロポネソス戦争中を中心に簡単...

cac********さん

2018/9/2423:59:59

アテネ民主政治の過程を
ペルシア戦争の前、後とペロポネソス戦争中を中心に簡単に説明してください!お願いします

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ste********さん

2018/9/2502:05:41

ポイントは、参政権と兵役です。

アテネの民主政は、徐々に政治に参加できる人が増えていくという
特徴があります。

>ペルシア戦争の前、後

ペルシア戦争後に、参政権を持つ市民が一段と増えました。
その理由を考えるのが大切です。

アテネの重装歩兵は、武具を自弁しなければなりませんでした。
長槍・盾・鎧・すね当て・兜などを自分で用意できなければ、
兵士として戦うことができなかったわけです。
つまり、ある程度のお金が無ければ、兵士になれなかったわけです。
そして、重装歩兵として戦うということは、自分たちのポリスを
守るということを意味しました。

アテネの参政権は、自ポリスを防衛するという義務を果たしている人に
与えられる権利だったと考えてください。

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ペルシア戦争以前に、アテネ市民でも政治に参加できない人がいました。
それが無産市民です。
無産とは、財産が無い人ということです。
お金が無い人は、武具が自弁できませんので、
都市防衛に参加できません。
つまり、政治に参加できないという理屈でした。

ところが、ペルシア戦争は、サラミスの海戦のように
船での戦いが重要になりました。
この時代の船はガレー船といって、オールを漕いで推進力を
得るものでした。

https://kotobank.jp/word/%E3%82%AC%E3%83%AC%E3%83%BC%E8%88%B9-48032...

アテネ海軍のガレー船は、三段櫂船という巨大な軍船でした。
数多くのオール(櫂)の漕ぎ手が必要でした。
アテネの無産市民は、この漕ぎ手として活躍しました。
無一文でも、ポリスを守るために戦った(命を懸けた)わけです。

それが認められることで、戦後、無産市民にも参政権が与えられたのでした。

>ペロポネソス戦争中

この時期は、ちょうどペリクレスがアテネの指導者となった時期になります。
ペリクレスが活躍しだしたのはペルシア戦争後で、
無産市民たちの支持を得て、アテネの民主政を完成に導きました。

https://kotobank.jp/word/%E3%83%9A%E3%83%AA%E3%82%AF%E3%83%AC%E3%82...

このペリクレスは、ペロポネソス戦争が勃発すると、
スパルタ軍に対して、アテネに籠城するという戦法を取りました。
戦略的には間違っていなかったのですが、疫病が発生し、
ペリクレスはその疫病で死亡してしまいました。
絶対的なリーダーを失ったアテネは、その後、扇動政治家
(デマゴーグ)と呼ばれる政治家たちが、かじ取りをしていきました。

https://kotobank.jp/word/%E3%83%87%E3%83%9E%E3%82%B4%E3%83%BC%E3%82...

結局、デマゴーグたちの指導はアテネを間違った方向に導き、
ペロポネソス戦争に敗北してしまいました。

アテネの民主政は、デマゴーグたちによって堕落させられ、
衆愚政治と化してしまいました。

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質問した人からのコメント

2018/9/26 07:17:35

とってもわかりやすか説明していただきありがとうございます!

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