ここから本文です

西安事件も第二次国共合作も、国民政府と共産党が仲良くしていこうってことだとお...

アバター

ID非公開さん

2018/10/501:54:03

西安事件も第二次国共合作も、国民政府と共産党が仲良くしていこうってことだとおもうですが、この二つの出来事のあいだに、もうすでに、1度は、バイバイしたから、再びもう一度仲良くしよう!ってことになったんで

すか?内容が同じ様な感じなのに、わざわざ2回なされていて、よく分からないので質問しました。
よろしくお願いします。

閲覧数:
40
回答数:
1

違反報告

ベストアンサーに選ばれた回答

プロフィール画像

カテゴリマスター

ste********さん

2018/10/502:17:35

>国民政府と共産党が仲良くしていこうってことだとおもうですが

仲良く、というほど「ほのぼの」していませんが…。

まず、第一次国共合作がありました。
孫文が主導して行われた合作が第一次です。
その背景には、孫文がソ連との連携を模索していたことがありました。
孫文は、軍閥の打倒のために、ソ連がロシア革命で成し遂げた
ノウハウなどを参考にしようと考えたのでした。
そこで、孫文の中国国民党と、コミンテルンの中国支部ともいえた
中国国民党を連携させようとしたのでした。

ところが、孫文死後、国民党のリーダーとして台頭したのが
軍人だった蔣介石で、かれは共産党と距離を置き始め、
最後は上海クーデタで共産党を弾圧し、国共は分離することになりました。

https://kotobank.jp/word/%E5%9B%BD%E5%85%B1%E5%90%88%E4%BD%9C-65242...

その後、蔣介石は、共産党を目の仇にして、徹底的に討伐しようとしました。
蔣介石の戦略は、「安内攘外」といいました。
新たな中華民国の統治者となった蔣介石にとって、
内と外の敵がおり、内側の敵は共産党、外側の敵が日本という状態でした。
どちらの敵を優先して倒さなければならないかという選択において、
蔣介石は、共産党はガン細胞のようなものとして、優先して殲滅する
必要があると考えたのでした。
逆に、日本の進出に対抗するのは後回しという態度を取りました。

その結果、不満を持ったのが張学良でした。
西安事件を起こした張学良は、もともと張作霖の息子ですから、
日本は親の仇でした。
さらに、日本が建国させた満洲国のある中国東北地方は
張学良の生まれ故郷でもあります。
ですから、張学良は、共産党より日本との戦いを望んでいました。
なのに、ボスである蔣介石は、張学良に共産党討伐を命じてきました。

それに反発して、張学良たちは蔣介石を捕らえて、無理やり
蔣介石に日本と戦うために、共産党と手を結ぶように強要したのでした。
これが、西安事件です。

https://kotobank.jp/word/%E8%A5%BF%E5%AE%89%E4%BA%8B%E4%BB%B6-85480...

蔣介石はしぶしぶ、共産党との戦いを休止して、
再び共産党と合作することにしたのでした。
西安事件と、第二次国共合作にタイムラグがあるのはそのせいです。
西安事件は、国民党と共産党が手を結ぶきっかけとなった事件で、
その後、両党が交渉を進め、やっと正式な合作にこぎつけたというわけです。

  • アバター

    質問者

    ID非公開さん

    2018/10/502:24:44

    なるほど。ご丁寧にありがとうございます。
    すみません、「ですから、張学良は、共産党より日本との戦いを望んでいました。なのに、ボスである蔣介石は、張学良に共産党討伐を命じてきました。」とあるのですが、張学良は国民政府の一員になってたってことでいいですか?また、そうだとすれば、同じ組織なのに、監禁なんて手段をとるんですか?

  • その他の返信(3件)を表示

返信を取り消しますが
よろしいですか?

  • 取り消す
  • キャンセル

アバター

質問した人からのコメント

2018/10/5 02:51:47

ありがとうございます!

みんなで作る知恵袋 悩みや疑問、なんでも気軽にきいちゃおう!

Q&Aをキーワードで検索:

Yahoo! JAPANは、回答に記載された内容の信ぴょう性、正確性を保証しておりません。
お客様自身の責任と判断で、ご利用ください。
本文はここまでです このページの先頭へ

「追加する」ボタンを押してください。

閉じる

※知恵コレクションに追加された質問は選択されたID/ニックネームのMy知恵袋で確認できます。

不適切な投稿でないことを報告しました。

閉じる