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利己的遺伝子論のことばかり考えて気の晴れない日が続いてしまいます。

dvq********さん

2018/10/522:52:31

利己的遺伝子論のことばかり考えて気の晴れない日が続いてしまいます。

母親が子どもを愛するために取る自己犠牲の行動、人同士が助け合うこと、全てが利己的...優しさとか無償の愛なんかなかったのですね。
遺伝子の思うがままになっていると思うと、やや恐ろしくも感じるし、行動が遺伝子にコントロールされていると思うと、虚無感も感じる。

もう愛とか人同士の繋がりの大切さとかその様なことをテーマにした映画や音楽に感動することができない…

利己的だと考えたら人とどう関わればいいのかがわからない。

ボランティアなどの人助けも以前は素晴らしいと感動していたが今は違う。

ショックを受け、気の晴れない日が続いてしまっています。

ここまで読んでくださりありがとうございます。回答してくださると嬉しいです。

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よむ子さん

2018/10/1006:34:48

見田宗介『自我の起原』をおよみください。

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ベストアンサー以外の回答

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bak********さん

2018/10/1001:53:41

確かに
永遠の愛だの、無償の愛だの、そういったものは存在しません

ですが
愛や信頼や思いやりってのは、この世に確かに存在してるわけですから
そこを全否定しちゃ駄目でしょう

そもそもヒトも自然界の動物であり
みんなでエサ取りに行こうぜ
何故にみんなで?個人個人バラバラでもよくね?
馬鹿、それじゃ弱いだろ、死んじまうぜ
そうだなあ、しゃあない、協力してメシ食おうか

愛とか信頼とか思いやりって、こんなもんですよ
自分は十分に感動出来ますけどね

頭でっかちにならずに
仲間と何かを達成するミッションをクリアしてみてはどうでしょう
ヒトってこうやって生きて行くんだよな、と実感します

tan********さん

2018/10/621:33:22

遺伝子が生き残りたいからコントロールしてるっていうか、生き残りやすい性質を持った遺伝子が生き残っただけでは?
コントロールされてたら、コンドーム作らないでしょ。
人間の精神には生物的な限界はありますが、ランダム要素も沢山あると思いますよ。
元気出してくださいね。

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千巻良人さん

編集あり2018/10/620:39:59

>優しさとか無償の愛なんかなかったのですね。

そうです。「完璧な」無償の愛や「完璧な」優しさは、つまり愛や優しさのイデアは叡智界のものであり、現実界には存在せず、現実界に存在する愛や優しさは全て相対的なものです。あなたの望むような絶対的な一切利己的でない愛や優しさは、存在が自己従属的であり自己完結している「神」以外持ち得ません。

>利己的だと考えたら人とどう関わればいいのかがわからない。

聖人でさえ心の何処かに悪魔を潜めているとは言われております。あなたは神ではなく、人間なのですから、ご自分の中には利己的な要素もあるということを認識し、それと謙虚に向き合って行くのが良いでしょう。

そう考えたほうが、ボランティアをしても感動で自分に酔うこともないですし、ボランティアを語り搾取する悪人に騙されることもなくなるでしょう。最悪は最善を装ってやってくるとはいいますからね。

この人は利己的な要素が一切ない!と人の為すことに対して感動することは、絶対神を蔑ろにする行為でもあり、とても危ないことなんです。まぁ「人の為す」で偽といいますからね。

ショックで気の晴れない分は、八百万の神々の背後に控える絶対神に気が向くことを祈っております。

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h_e********さん

2018/10/616:21:00

なんていうか、利己的という言葉に引きずられて、利己的遺伝子としての「利己的」と、社会通念上の、人の思考や行動上の「利己的」(あるいは利他的)という概念が同一線にある、根源が同一である思いこんでいるようです。
ちがうからね。
世の中には一般人にも「わかりやすく」するため、あるいは大衆受けを狙って、科学の知見を、面白おかしく、擬人的、卑近なたとえで語る(騙る)人ががいるから気いつけなはれ

hui********さん

2018/10/615:55:49

ドーキンス自身は利己的遺伝子論から人間を除外しています。ホモサピエンスは理性によって遺伝子の圧政から逃れうる生物種だというわけです。

そして仮に人間のすべての道徳的行動が利己的な動機によるものだとしても、功利主義的な見地からすれば行為の道徳的評価は動機ではなく結果や効用によって判断されますから、母親が子を慈しむのも人助けをするのも充分利他的で道徳的と言えます。質問者さん自身がニヒリズムそのものを相対的に捉えれば気は和らぐのではないでしょうか

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