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山内容堂は幕末の重要人物の一人で明治に入ってから内国事務総裁に任命されるもか...

lun********さん

2018/11/700:52:31

山内容堂は幕末の重要人物の一人で明治に入ってから内国事務総裁に任命されるもかつての家臣たちやそれ以下のような身分の明治新政府には馴染めずすぐに辞職してしまったそうですが、山内容堂は伊藤博文や山縣有朋、

大久保利通、西郷隆盛といった明治政府の重要メンバーと話し合ったりすることはあったのでしょうか?それとも、三条実美や岩倉具視は大久保や西郷と話すことはあっても山内容堂はそんなになかったのですか?

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ベストアンサーに選ばれた回答

mug********さん

2018/11/702:11:18

容堂のほうが西郷・大久保・岩倉らを嫌っていたと思います。

慶應3年の王政復古の御前会議の席で容堂が慶喜の処遇をめぐって「この会議に慶喜がに呼ばれていないのは片手落ちである」とクレームを付け、岩倉は「名ばかりの大政奉還をして、なお土地・人民を手中にしているではないか」とやりあったとき審議の成り行きを心配した岩下佐次右衛門が外にいた西郷に意見を訊くと西郷は「短刀一本あればすむことではないか、このことを岩倉公や大久保に伝えてくれ」と暗に恫喝しています。この話が後藤象二郎を通じて容堂の耳に入っているので、この恫喝を後々まで容堂は忘れていないはずで、政府に名を連ねていても面白くなかったでしょう。

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