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世界史Bの宗教改革のところについての質問です。エリザベス1世が統一法を出しまし...

chi********さん

2018/11/2600:54:32

世界史Bの宗教改革のところについての質問です。エリザベス1世が統一法を出しましたが、あれは何のために出したのですか?その後イギリス国教会が成立とか書いてあるのですが、イギリス国教会って何ですか?また絶対

王政にもどしたってことですか?レオ10世は絶対王政だったのですか?そこの辺りがよくわかりません。教えてください。

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zeu********さん

2018/11/2611:12:16

日本史・世界史の元予備校講師です。

【イギリス国教会とは】
イギリス独自のキリスト教会のことです。
イギリス(正しくはイングランド)国王が教会のトップとなり、カトリックのローマ教皇からは完全独立したものです。

国教会は教義的(教えの内容的)には新教徒、儀式や組織は旧教徒(カトリック)の内容に近く、新教と旧教を足して2で割ったようなものと言われています。

さて、この国教会をはじめた王様がヘンリー8世という人。
もともとは王妃との離婚をローマ教皇に申し出たら、ローマ教皇から
「王妃との離婚は認めない」
という返事に怒って、
「それならオレはもうローマ教会から独立するぜ!」
となったのがはじまりです。

【統一令】
国教会はヘンリー8世によってはじまったのですが、その後エリザベス1世の姉
であるメアリ1世という女王がカトリックに信仰を変えたため、イギリスでカトリックと国教会のどちらにすねかで混乱したためです。

メアリ1世の後に即位したエリザベス1世は

「イギリスの宗教は国王がトップをつとめる国教会を国の教えとします」

とし、カトリックとの間で混乱していた礼拝・祈祷の統一基準を定めたのが統一令です。
統一令によって、はじめてイギリス国教会がキチンと最終的に成立しました。



※波乱万丈のエリザベス1世

エリザベス1世は国教会をはじめたヘンリー8世の娘です。
母親はアン・ブリーンという人物で、ヘンリー8世が離婚したがっていた王妃の侍女でした。そう、国王の不倫、浮気相手だったのです。

ローマ教皇は浮気・不倫の噂もあり、国王の王妃離婚に消極的だったともいわれています。
結局、ヘンリー8世は王妃と離婚して、アン・ブリーンと結婚しエリザベスが生れました。
しかし、もともと浮気性の国王です。
もう、アン・ブリーンに飽きてきます。アン・ブリーンが男子を産まないことにも大不満です。

「別な女に王妃を変えたい。アン・ブリーンとは離婚したい。」

王妃の座を手に入れたアン・ブリーンはそう簡単には離婚には応じません。
そこで、アン・ブリーンは浮気をしているという讒言を利用して、ヘンリー8世はアン・ブリーンを斬首刑に処します。
エリザベスから見ますと、父親が母親を処刑したということです。

エリザベスも母親が罪人ということで、王女の地位を剥奪されてしまい、ただの国王の娘(王位を継げない身分)に落とされます。
やがて、ヘンリー8世待望の男子が生れ、その子(エリザベスからみると腹違いの弟)はエドワード6世となって即位しますが、若死にしてしまいます。

さらなる悲劇は腹違いの弟エドワード6世の後に即位したのが、腹違いの姉メアリ1世になったこと。
メアリ1世の母親は最初にヘンリー8世が離婚したがっていた王妃なのです。
メアリ1世から見るとエリザベスは母親を離婚に追いやった浮気相手の女の子になります。
女の世界ならではの、陰湿なイジメをエリザベスはさんざんやられます。

メアリ1世の死後、ようやく手に入れたのがイングランド王位でした。

【レオ10世】
国王ではありません。ローマ教皇(今でいうローマ法王)です。

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gin********さん

2018/11/2716:21:49

①統一法の目的
イギリス国内で対立していた新教(英国国教会)と旧教(カトリック)の対立を収束させるために、両方の宗教の妥協ともいうべき宗教に統一したことを言う。
これにより、教義はプロテスタント色が強いが、儀式などはカトリック色が強いという英国国教会が確立した。ちなみにこの統一法でも納得しない新教や旧教の人々は国家統治の邪魔であるとして迫害された。

②イギリス国教会とは何か?
ローマ教皇ではなく、イギリス国王を教会組織の首長とするイギリス独自の教会制度である。
元はと言えばイギリス国王ヘンリ8世がローマ教皇レオ10世とヘンリ8世の離婚問題で揉めた事を理由に、ヘンリ8世がローマ教皇の許可を得ずとも離婚を成立させるためにローマ教皇ではなく、イギリス国王が教会の首長なのだと言い始めたことに由来する。
(ヘンリ8世の妻は元々兄の嫁で、兄が死亡した際にそのまま弟ヘンリ8世の嫁となった。しかし、一向に男子の世継ぎが生まれないことからヘンリ8世は離婚を望むようになるが、妻がカトリック大国スペインの姫であったことからスペイン=ローマ教皇=イギリスの複雑な外交問題となっていた。)


ヘンリ8世の時点では首長がローマ教皇からイギリス国王に代わっただけで中身はカトリックとほとんど変わらなかったが、そこに新教が流入した事から混乱をきたし、エドワード6世の一般祈祷書およびエリザベス1世の統一法という形で新しい形に落ち着いた。

③絶対王政との関連性
エリザベスは絶対王政の代表人物とされるが、現実にはそうではない。英仏百年戦争・ばら戦争・新教旧教の対立で疲弊したイギリスの面倒な仕事を押し付けられたのである。幸いにしてエリザベス1世はウィリアム=セシルやドレイク、グレシャムなどのような家臣に恵まれ、諸問題を次々に国王主導で解決していったのでそう見えただけである。故に晩年のエリザベス1世は議会勢力に押されてむしろ王権を抑えつけられている。ちなみにレオ10世は絶対王政と関係ない。

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